2010年12月23日木曜日

Visionary Institute 2010 Seminar 第9回 佐治晴夫氏「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」 参加報告


Visionary Institute 2010 Seminar第9回 「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」を受講してまいりました。今年4月から始まったこのセミナーも、いよいよ最終回です。今回はクリスマスセミナー。株式会社エムシープランニング代表の薄羽美江さんによるとクリスマスセミナーとはイギリスで行われた年末に本物の科学者から科学の話を聞くというもので、今回はそれにふさわしい佐治晴夫氏をお招きしてのセミナーでした。
全体の感想としては、先生は学生さんに科学を分かりやすく説明するための引き出しをいっぱい持っていて、幾らでも話が尽きない方だと感じました。
・宇宙と音楽
まずは先生を知るためにアメリカの天文学者、SF作家であるカール・セーガン博士の本を映画化した「コンタクト」の映像から始まりました。佐治教授とセーガン博士は1977年、ともにNASAのボイジャー計画に携わりました。この本でカール・セーガン博士から宇宙とのコンタクト方法を相談されて、数学と音楽を一緒にしてコミュニケーションに利用することを提案し、それが映画に採用されました。
・失敗は何度でもしたほうが良い
最初のエピソードは糸川先生とのお話でした。佐治先生は初めの頃は東大の物性研究所に勤めていて、その向かい側に糸川先生の勤めている東京大学生産技術研究所がありました。そこで佐治先生は糸川先生に会う機会があり、そのような時に糸川先生の言われたことで印象に残っていることがあり、それを紹介されました。「人間は1回失敗しただけではダメだよ。何度でも失敗してもいいんだよ」、つまり「ご飯を炊くときに米の量を計るのを間違えて、水の量を計るのを間違えたときに、おいしいご飯が炊けることが有るではないか」、「だから一回失敗したからとしょげていてはダメで、大いに失敗しなさい」とおっしゃられたそうで、それが糸川イズムでした。その糸川イズムから「はやぶさ」が生まれましたが、その話は前回の的川先生がされました。
・クリスマス講義
この講義はクリスマス講義と位置づけてお話をされました。そもそもクリスマス講義は1825年にイギリスの王立教会でマイケル・ファラデーが青少年のために最先端の科学を理解してもらうための科学実験講座で、途中戦争で中断しましたが、今では約183回になるのではないのでしょうか。佐治先生もこの講義を聴かれて、ご自分も日本でクリスマス講義を始められそうです。それから数えて今日のこの講義は126回目あたりということでした。
・「はじまり」とは何か?
先生は元々数学の出身で物理に移り、理論天文学の仕事につながってゆきました。東大に勤めていた頃には予算が少なかったため、日中は松下幸之助さんから声のかかった松下電器の研究所で働き、夜5時15分以降は東大で働くと言う生活をしていたそうです。その頃に考え始めたのが物事の根源的なこと、つまり、始まりでした。本当の始まりとは原因もなく始まらなければならないというところから宇宙の始まりに関心を持ってきました。
・ゆらぎの実用化
松下電器ではその宇宙の始まりにかかわる根源的な「ゆらぎ」の研究をしていて、研究の成果として6時間VTR磁気ヘッド、宇宙の創生の理屈をそのまま使っているヘッドフォン、ゆらぎの扇風機、ゆらぎの風呂などを商品化してゆきました。
リベラルアーツとは?
これまで仕事をしてきた中で必要と考えてきたのがリベラルアーツで、普通は教養と訳されますが、中世ヨーロッパでは、職業教育とは別に人格形成を目的とした教養基礎科目のことを言います。その中には数学、音楽、天文学が含まれております。リベラルアーツとは既存の伝統や風習から大きく心を開放して新しい思想のパラダイムを目指すことです。
以下、私の感想。
私はというと高校、大学では数学、英語と技術は得意でしたが、美術、音楽は全く不得手でした。そうか!だから中途半端なエンジニアになったのかと佐治先生のお話を聞いて合点がゆきました。問題解決や新しいものを創り出すには感性が重要ですが、私にはリベラルアーツが欠けていますね。そんな負い目があるので、出張の時には時間を見つけては美術館や博物館に足を運びます。ボストン美術館、ルーブル美術館、大英博物館、ゴッホ美術館、スペインの小さな美術館、イタリアの美術館などなど。
まどみちおさんの詩(地球の用事)
まどみちおさんは玉川大学の真昼の天文台に行かれて6時間も観測室におられて「ああ、これがひかりですね」と言われたそうです。そのまどみちおさんの詩に地球の用事というのがあります。
ビーズつなぎの 手からおちた 赤いビーズ 指先から ひざへ ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ ひくいほうへ ひくいほうへと かけていって
たたみのすみの こげあなに はいってとまった
いわれた とおりの 道を ちゃんと かけて いわれた とおりの ところへ ちゃんと 来ました
と いうように 今 あんしんした顔で 光っている ああ こんなに 小さな ちびちゃんを
ここまで 走らせた 地球の 用事は なんだったのだろう
これがリベラルアーツです。
以下、私の感想。
佐治先生の発案で玉川大学の屋上に「昼間の星」を見ると言う天文台を作られました。そのこころは、見えないと思い込んでいる真昼の星を見るという非日常体験をすることにより、思い込みと言うものを考えさせることにあるということでした。私はこのVisionary Instituteに参加して薄羽さんより、この天文台のスタッフをされている潮木さんを紹介されました。この天文台は毎週木曜日に公開されているので、私は2010年7月1日に潮木さんを尋ねて行きこの体験をさせていただきました。話は変わりますが、2011年1月1日のNHKのテレビで山で淡水(好適環境水)でマグロを育てている岡山理科大学の放送を見ました。ここでも、「魚は海水で生きる」というのと、「マグロは海で育つ」というのが思い込みだということを思い知らされました。
・谷川 俊太郎さんとの対談
言葉はあいまいなものです。しかし、谷川俊太郎さんとの対談で、それほどあいまいでも無いなということが分かりました。佐治先生が「宇宙って膨張しているんです」と言うと谷川さんは「そうですか。宇宙は膨らんでいるんですか。だから皆不安なのですね」と言われました。佐治先生が「地球と月は引き合っているんです」というと谷川さんは「万有引力というのは孤独な力なんですね」と言われました。佐治先生が「宇宙はひずんでいる」というと谷川さんは「そうですか、宇宙は歪んでいるんですか。だから人々は求め合うのですね」と言われました。このように、言葉はあいまいであるがゆえに、文学や詩があるわけで、どちらが良いとも悪いとも言えないものです。数学を解くにはすべて理詰めだけではなく、感性が無いと解けません。世の中の真実とは何かを追究してゆくシステムがリベラルアーツです
・能における幽玄とゼロの美しさ
能の世界は1つの能面の中に2つの反対の世界(顔の左と右)が入っているので、数学のゼロと似ています。数学のy=1/xという分数関数のグラフを書くとxがプラスの方からゼロに近づくとyは大きくなり無限大になる、マイナスの方からゼロに近づくとマイナスの無限大になります。
・なぜまばたきするのか?
なぜまばたきするのかをつめてゆくと、結論は、「人間の祖先は魚だった」なのですが、そこに至るまでの過程を説明されていました。小学生に自ら分からせるために「さあ立って。今から1分間まばたきしちゃダメだよ。まばたきした子は座るんだよ」と言って、まばたきしないことがどれほど大変か、そしてそれはどうしてかを考えさせることでこの結論に持ってゆくわけです。このように深いからくりを感覚的に捉えてゆくのもリベラルアーツ、難しいことを易しく伝えるのもリベラルアーツです。
・なぜバッハか
1977年9月5日NASAの太陽系外惑星探査機ボイジャー1号と2号にバッハのプレリュードとフーガを積もうと言ったのが佐治教授でした。なぜバッハか?それはバッハの音楽がいかに数学的に出来ているかということからです。そういうこともリベラルアーツの延長線上にあるわけです
・月周回衛星「かぐや(SELENE)」が撮影した月越しに見えた地球
この映像は、月周回衛星「かぐや」がその役目を終えて、地球からの指示で月に激突して死ぬ時に、母である地球をとらえた映像で、その1時間40分後に月に激突しました。時は2009年6月11日。空気の無い月面から空気と水の星、地球が見えてくる。「この時のあの青い玉の上に私たちは確実にいたわけです。そういう思いであの水玉を見れるかどうか。それでかなり人生が変わると思いますね。」と佐治先生は言われました。
・自分の顔は自分では見れない!?
鏡で見ている顔は左右反対になっているので、本当の自分の顔は見ることができません。つまり、地球のことを一番知っていると自分では思っていても、実は何も分かっていないということです。
・皆さんへの質問
皆さんの中で「あしたも同じ自分でいられるか心配しながらご就寝された方はおられますか?」
皆さんの体は60兆の細胞で出来ています。その中のDNAのうちの1%は寝てからおきるまでの半日で置き換わっています。細胞は死んでいくからですね。つまり、ものとしての今日の自分は昨日の自分ではありません。つまり、自分を自分にしているのは自分と周りとの関係性で成り立っていると考えるのが一番妥当だと言われました。
以下、私の感想。
ということは、約1ヵ月半で自分が物質としては100%別人になるという事ですね。こころは、過去の自分の行動をパターン化して記憶していて、今日も昨日と同じ行動をした方が安心、安全だと考えるからなのか、又はそのパターンを固定観念として自分はこういう人間だと思いこんでしまっているのか、なかなか変われないのかもしれません。結果を恐れずに、今までとちょっと違う行動をするとうまくゆく事があります。それを続けると、気付いた時にはこころも別人になるのでしょうね。また、自分と言うのは他人との関係性で成り立つということが重要ですから、素晴らしい人に巡り合うのも重要ですね。でも、待ってていてもそういう機会はなかなか訪れないので、自分から機会を作る事でしょうね。今日の佐治先生のお話を聞けたというのも私にとっては大切な財産です。
・月が有っても無くても私たちの生活は変わらないか?
大昔に地球に小惑星が衝突して地球の軸が傾いて、四季ができました。衝突の衝撃で飛び散った岩石が固まったものが月です。月の引力があって地球の自転にブレーキをかけています。この力がないと地球の自転は1日8時間になってしまいます。
・この音は何の音?
カエルの鳴き声のような音ですが、宇宙からやってくる電波を音にしたもので、太陽から吹いてくる太陽風を音にしたものです。風とは目に見えない空気の小さい分子が動くだけではありません。太陽から目に見えない粒粒がたくさんくるのだったら風と言っていいのではないでしょうか?今の学校教育では、風は空気の移動と決め付けてしまう子供を作ってしまうが、これではいけないのではないかと佐治先生は憂いておられます。
・宇宙飛行士が月に行ったら自分の体重は軽くなったと感じるでしょうか?重くなったと感じるのでしょうか?
文部科学省の正解は月は重力が地球の1/6だから、軽くなったと感じるというものです。しかし、小学生の子供の中には宇宙にいるときには無重力状態で、月に着いたら重力があるので、重くなったと感じると言いました。このような考え方が大事です。向井千秋さんが宇宙から帰ってきたときに言ったのは「ティッシュペーパーがね、こんなに重いとは思わなかったなかったわ」ということで、それを聞いていた子供たちはこのように答えるのではないでしょうか。
・もし月が無かったらどうなったでしょうか?
もし、月がなかったら地球の自転の速さが3倍になります。そうすると地球上の風速は時速300Kmです。そうするとものすごい音がして音楽を聞くどころではない。だから、もし月が無かったら音楽はなかったですね。このように科学的な裏づけを持ちながら自由な発想をするような教育が大事ですね。
・ジェット機が飛ぶ理屈と水洗トイレの理屈は同じだよね!
この話をしたら東京大学に数十人入るという高校の生徒さんはキョトンとしていた。こういう人が東大に入って政治家になったらこの国はどうなっちゃうのかな?ジェット機が飛ぶのは翼の上側と下側では風のスピードが違うからです。上側では長い距離を流れるので、スピードが速くなって圧力が小さくなり浮力が出てくるわけです。水洗トイレは下に下水が静かに流れていて圧力が下がってているので水洗トイレは流れてゆきます。ベルヌーイの法則を簡単に説明するとこのようになります。
・人間の奇妙さを実にうまい具合に言っているのが宮沢賢治です
「春と修羅」の第一集の序で、「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。あらゆる透明な幽霊の複合体、風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかに ともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」という文章を紹介されました。これはリベラルアーツをやっていないと分かりませんね。われわれは1つの人格と思ったらおお間違いです。Aさんと会っているときの人格とB君と会っているときの人格、歩いているときの人格と車に乗っているときの人格は微妙に違っています。ですから人は色々な人格の集まりであります。また、私たちの命には限りがありますが、しかしそのときに灯された光は消えないでしょう。
・ことりさんと一本の木の話(新美南吉の小説)
ことりと一本の木は仲良しでした。そしてことりは冬が来るので南の国に帰りました。次の年に戻ってきた時にはその木は切られていて株だけが残っていました。木は切られてマッチの軸になっていました。ことりはマッチを探して一軒の家に行きました。その家の子がつけたマッチの軸で燃やしたランプの火は残っています。つまり、次から次へと受け渡されたものは永遠につづくだろう。その中のリレーに過ぎないということを金子みすゞさんをバチカンでパウロ二世に説明した後にしたそうです。この詩を読んでやはりそこまで思い浮かばないような国語の授業は国語の授業ではないと言われました
・リベラルアーツというものの考えかた
子供のための物語であろうが、大人のための物語であろうが、数学、哲学であろうがそれぞれのこころというものには一貫した共通項があり、それを感じて、自分のものにしてゆくのがリベラルアーツの方法だと思います。言葉を音に変えるとあいまいな物が明確になってゆきます。しかも、それぞれの言語を超えた普遍的言語になります。
・言いたかったこと
「人間って本当に不思議ですよね」。ということを言いたかったのです。つぎにでてくるのは、「人間っていったい何なのか」。これは生き物の進化の途中から見ることができます。
・人間とは
京都大学の霊長類研究所の先生が言うには、人間とは相手の気持ちの分かるチンパンジーです。チンパンジーは相手の気持ちは分かりません。次にこころとは何かについてお話します。

・この音は何の音?
太陽から吹いてくる風の音だと仮定すると、太陽が爆発したときのフレアの電波の音です。電波の原因は、実験的な事実としてこの音を分析して分かることは、今から137億年前に確かに1粒の光から宇宙が生まれてきたことを表している事です。しかも、それは原因のない始まりだったことが分かるそうです。これから太陽は冬眠の状況になりますから、地球が氷河期になることが想定されています。
・核酸と言う物質
地球では水素、酸素、星で作られた炭素、窒素、鉄などが出来上がってゆきます。これから核酸が出来てきます。この核酸が神経のネットワークの中で分子集団に変化が起きると記憶になります。記憶ができるということは、現在と過去を分けることができます。それはつまり、現在と未来を分けることが出来ます。そうすると時間と言う概念が出来上がってきます。その時間と言う概念のおおもとになるのが、こころというものです。そして、自分の未来はどうなるのだろうか?と考えるわけです。
・こころはどうして出来てきたか?
人間が立ちあがるようになったから大きい脳を持つようになり、こころを持つことが出来るようになりました。しかし、立ち上がることによって骨盤が狭くなったので、子供を必要な時間だけおなかに入れておくことができずに早く産まなければならなくなりませんでした(人間は未熟児で産まれてきている)。だから人間は学校で教育を受けなければなりません。人間だけ産まれて来たときには自分ひとりでは生きられない状態です。人間は一人では生きられない。だから集団を作るようになるわけです。その集団を侵略するものがあればその集団を維持するために自分の命と引き換えに戦争をします。だから、人間の世界から戦争はなくなりません。戦争はやめようとして止められるものではありません。では、どうしたら止められるのか。それは人類の進化の途中で何ゆえにあなたは戦うのか、そういうことを科学の立場から理解することによって、そこを出発点としてどうしたら良いのかということが出てくるでしょう。それがリベラルアーツです
以下、私の感想。
大陸では隣り合う国同士が資源や地の利などから領土を広げようと戦争をしてきました。戦争から自国を守ると言う大義で権力者が戦争を利用したり、政治を利用したり、宗教を利用してきました。宗教には他の宗教を受け入れるということはあまりありません。博愛の宗教、助け合う宗教、好戦的な宗教など色々あります。このような宗教の創始者や権力者が、もし、スペースシャトルに乗って宇宙から地球を見ることが出来ていたならば、自説にこだわらず、広い心で思想が形成されたのではないかと想像いたしました。この講義の後で薄羽さんが中心となって30人程の人たちで先生を囲む懇親会を行いましたが、参加者の1人の京さんが、10年ほど前に考えたこととして、サミットを宇宙で開いたら有意義なものになるだろうということを披露して頂きましたが、私も同感です。
・人間らしさとは
人間とは分かち合うことが出来るものです。その辺りの事を絶妙に言っているのが宗教です。特にキリスト教などはまさにそのとおりです。「理解されるより、理解することを求めさせてください。愛されるより、愛することを求めさせてください。それは与えることによって、与えられるからです。赦すことによって、赦されるからです」。人間は環境に適用するために耐えることが出来ます。ところが、環境の変わり方が早すぎるために適応できないので、耐えることが出来なくなっているだけの話です。そこに気がつく必要があります。
・事業をするためのマネージメント
佐治先生は松下にいたときに1兆円を売り上げました。そのうち、扇風機で500億円売り上げました。そのときのマネージメントですが、ビジョンをいかに持つか。次にビジョンを理念に変える。理念に変えたら組織がどうあらねばということが決まる。組織が決まればタイムスケジュールが決まってきます
・真昼の星
先生の本日のクリスマスギフトとして北海道の陸別にある銀河の森天文台で115cmの望遠鏡でとってきた青空の中での真昼の星を撮影されたものを見せて頂きました。先生は金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」という詩を紹介されました。
青いお空の底ふかく、 海の小石のそのやうに、 夜が来るまで沈んでる、 昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。
常時昼の星を観測できるのは銀河の森天文台と旭川の天文台です。そして毎週木曜日に観測できるのが玉川大学の天文台です。

以上が、本日の佐治晴夫先生のお話で、持ち時間の20:30を過ぎて21:00過ぎまでお話して頂きました。
その後、場所を51階の六本木ヒルズクラブに移動して、30人ほどで先生を囲む懇親会があり、参加させて頂きましたが、先生のお話は尽きませんでした。先生は夜通し話しても良いとおっしゃって頂き、予定の23:00を過ぎても楽しいひと時があっという間のようでした。
・推薦書籍のご紹介

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