本日のVisionary Institute - 2010 Seminar 第8回はJaxa名誉教授の的川泰宣氏による「飛翔のイノベーション -- 未来を開発する宇宙探索」でした。先生のお話は一言で言って、日本人、日本の若者に元気を与えるような感動的なお話でした。先生は「小惑星探査機 はやぶさ物語」にその多くにエピソードを書かれていて、多くの人に読まれているのですが、やはり、ご本人のやさしい肉声でお話しされるのを聞いていると、そのお人柄に触れられて素晴らしい時間を過ごすことができました。家に帰ってすぐ、高校生の二男にこのエッセンスを話して、励ましました。「若者よ頑張れ」。
さて、お話を順に思い出して書き連ねてゆこうと思います。
まず、「はやぶさ」は2003年5月9日に打ち上げられました。当初4年で帰還する予定が、色々なトラブルの結果7年かかって帰ってきました。設計では、4年で戻ることを想定した耐久性だったそうで、7年たって帰ってきても帰還できないのではという不安があったそうです。
先生が「はやぶさ」の話をされると、偉業への賞賛の声よりは「共感」や「共鳴」を感じたという声が多かったそうです。つまり、何度となくトラブルに遭遇しながら、それを乗り越えて目的を達成した後、自らは燃え尽きて果てるという壮大な物語に共感したようです。
お母さんからは、「はやぶさ」は、お母さんのように自分だけがバラバラになって、産んだ子だけが育っているという声も聞かれたようです。設計では「はやぶさ」は大気圏に突入して燃え尽きるのではなく、役割を終えたら本体のガスジェットを使って大気の外に出して、その姿をとどめようとしていたそうですが、ガスジェットの燃料を使い切ってしまったので、それも叶わず、大気圏に突入して燃え尽きたということでした。
宇宙の岩石を持ち帰る対象の衛星を、なぜ「糸川」にしたかというと、糸川は500m位の大きさで、熱変性していないので、出来た頃の岩石成分がそのまま残っている可能性があったからだそうです。大きい星では、太陽の熱などを受けてその岩石成分が変性してしまっている可能性が高いそうです。
「はやぶさ」の命名のエピソードとしては、はやぶさという鳥のように目がよく、狙った獲物を捕まえて帰ってくると言う様子に似ているのでこの名前にしたそうです。しかし、的川教授は「アトム」という名前にしたかったそうですが、チームの人たちの意見に勝てずにこの名前を受け入れたそうです。
「はやぶさ」という鳥のようにすばやく行動してと行きたいのですが、地球からどんどん離れてゆく「はやぶさ」に電波が届くまで15分以上、そしてそれを受けて、それに応えてきた電波が地球に届くのに同様に15分以上かかるということで、星にぶつかるとか分かるにに15分以上、対処するように指示を出して伝わるまでに15分以上と、とんでもなく制御が難しいと言う点は、自分で判断して行動するというプログラムを与えて切り抜けようとしたわけです。その、判断しなければならない状況を考えれるだけ想定して、それらに自らの判断で対応できるようにしたわけです。これも、「はやぶさ」の世界初の試みで、それが成功の一因だったわけです。
さて、実は「はやぶさ」は実験システムで、将来の実用化に向けての実験のためのもので、「はやぶさ」の目指した技術は以下のとおりでした。
①イオンエンジン(今までのエンジンと違い、ものを燃やさないエンジン)を行き、帰りのためにのみ使う。
②姿勢制御は3軸をそれぞれ制御するための3つのこまと、姿勢制御の推進力を付けるためのガスロケット。
③着陸-サンプル収集-離陸という世界初の動きをさせる。今まで着陸するだけと言うのはあったが、離陸して戻ってくるというのははじめての試み。
④地球帰還。大気に突入する際に表面は3,000度以上になるが解けそうになっては固まり、また解けそうになっては固まりというのを繰り返しながら、しかし、解けないカプセルの中は50度程度に抑えることが出来た。
これらの実験の結果、分かったことは、どんなに志が高くとも、技術力がなければうまく行かないと言うことが実証された。
これらの成果は、科学雑誌として有名なSCIENCE1冊に「はやぶさ」の特集号が組まれて発表されました。
これらの試みでは新しい技術が考案されたが、それらは皆、若い人たちの議論から出来上がってきて、若い人たちはチャンスを与えて、本人の志が高ければ、大きな心を持つ人が育つというのを実感したようです。
つまり、現場が人を育てるという実感が持てた瞬間だったようです。
最終的には「はやぶさ」は4つあるエンジンの4つとも故障してしまいました。4つのエンジンはイオン源と中和器がありますが、それが対ではじめてエンジンとして使えます。エンジンを設計したエンジニアは「はやぶさ」を送り出す直前に、4つのエンジンに何か障害があったときのために、それぞれのエンジンの使えるところ(つまり、4台の1つのエンジンのイオン源と別のエンジンの中和器)を組み合わせて使えるようにしていたことと、3つあった姿勢制御用の機器が全て故障した状況で機転を利かして推進用のエンジンを姿勢制御にも使った技術者のおかげで姿勢制御が可能となり、その前に不完全ながら回復した通信とそれを使った地上のエンジニアの習得した制御技術、これら全てが重なって地球に帰還できました。
「はやぶさ」と地球のオペレーションとの命綱は通信ですが、色々なトラブルの1つとして通信できないと言うトラブルがあったそうです。そのときには、今までの衛星技術の経験から、通信が完璧でなくわずかな情報しか扱えない場合、その最低限の情報が1ビットだそうです。この1ビット(1か0、yesかno)などの情報を少しずつ交換しながら推定して言って確実になるという果てしなく時間のかかることを忍耐強く続けて、最低限必要なオペレーションを遂行できたわけです。
そして、「はやぶさ」の燃え尽きる前の最後の仕事は宇宙から地球の写真を送ってくることでした。これも無事成功しました。
この燃え尽きる「はやぶさ」をいとおしく思ったのは母親の方たちだけでは有りませんでした。5歳の少女もはやぶさを「はやぶさ君」と呼び、「はやぶさ君」へ手紙を書きました。それをお父さんがJAXAへ送ったそうですが、その手紙が紹介されておりました。以下、「あすかははやぶさ君が大好きです。でも、はやぶさ君がもうじき消えてなくなるという話を聞きました。でも、あすかははやぶさ君が大好きなので、一生、はやぶさ君のことを思い続けます」。
お話の最後は以下のようにまとめられました。
・幼い共感と感動が未来を作る
・小中学校は高校の準備だけではない。「命を輝かせる最も大切なチャンス」を身に付ける時期である。
・毎日毎日が人生でもっとも大切な時期である可能性が高い
・着眼大局 着手小局
そして、最後に「適度な貧乏」。これが「はやぶさ」が成功した原動力だったようです。アメリカでの衛星の開発には500億円程度かけられるのですが、日本の場合、150億程度で、全くの貧乏ならば衛星など作るには資金がなかったわけです。そんなことから、適度な貧乏があれば、少ない資金でどうにかしようと努力するわけです。
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