2010年12月30日木曜日

Visionary Institute - 2010 Seminar 第9回 佐治晴夫氏「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」 参加報告

Visionary Institute - 2010 Seminar 第9回 佐治晴夫氏「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」を受講してまいりました。今年4月から始まったこのセミナーも、いよいよ最終回です。今回はクリスマスセミナー。株式会社エムシープランニング代表の薄羽美江さんによるとクリスマスセミナーとはイギリスで行われた年末に本物の科学者から科学の話を聞くというもので、今回はそれにふさわしい佐治晴夫氏をお招きしてのセミナーでした。
全体の感想としては、先生は学生さんに科学を分かりやすく説明するための引き出しをいっぱい持っていて、幾らでも話が尽きない方だと感じました。

・宇宙と音楽
まずは先生を知るためにアメリカの天文学者、SF作家であるカール・セーガン博士の本を映画化した「コンタクト」の映像から始まりました。佐治教授とセーガン博士は1977年、ともにNASAのボイジャー計画に携わりました。この本でカール・セーガン博士から宇宙とのコンタクト方法を相談されて、数学と音楽を一緒にしてコミュニケーションに利用することを提案し、それが映画に採用されました。

・失敗は何度でもしたほうが良い
最初のエピソードは糸川先生とのお話でした。佐治先生は初めの頃は東大の物性研究所に勤めていて、その向かい側に糸川先生の勤めている東京大学生産技術研究所がありました。そこで佐治先生は糸川先生に会う機会があり、そのような時に糸川先生の言われたことで印象に残っていることがあり、それを紹介されました。「人間は1回失敗しただけではダメだよ。何度でも失敗してもいいんだよ」、つまり「ご飯を炊くときに米の量を計るのを間違えて、水の量を計るのを間違えたときに、おいしいご飯が炊けることが有るではないか」、「だから一回失敗したからとしょげていてはダメで、大いに失敗しなさい」とおっしゃられたそうで、それが糸川イズムでした。その糸川イズムから「はやぶさ」が生まれましたが、その話は前回の的川先生がされました。

・クリスマス講義
この講義はクリスマス講義と位置づけてお話をされました。そもそもクリスマス講義は1825年にイギリスの王立教会でマイケル・ファラデーが青少年のために最先端の科学を理解してもらうための科学実験講座で、途中戦争で中断しましたが、今では約183回になるのではないのでしょうか。佐治先生もこの講義を聴かれて、ご自分も日本でクリスマス講義を始められそうです。それから数えて今日のこの講義は126回目あたりということでした。

・「はじまり」とは何か?
先生は元々数学の出身で物理に移り、理論天文学の仕事につながってゆきました。東大に勤めていた頃には予算が少なかったため、日中は松下幸之助さんから声のかかった松下電器の研究所で働き、夜5時15分以降は東大で働くと言う生活をしていたそうです。その頃に考え始めたのが物事の根源的なこと、つまり、始まりでした。本当の始まりとは原因もなく始まらなければならないというところから宇宙の始まりに関心を持ってきました。

・ゆらぎの実用化
松下電器ではその宇宙の始まりにかかわる根源的な「ゆらぎ」の研究をしていて、研究の成果として6時間VTR磁気ヘッド、宇宙の創生の理屈をそのまま使っているヘッドフォン、ゆらぎの扇風機、ゆらぎの風呂などを商品化してゆきました。

リベラルアーツとは?
これまで仕事をしてきた中で必要と考えてきたのがリベラルアーツで、普通は教養と訳されますが、中世ヨーロッパでは、職業教育とは別に人格形成を目的とした教養基礎科目のことを言います。その中には数学、音楽、天文が含まれております。リベラルアーツとは既存の伝統や風習から大きく心を開放して新しい思想のパラダイムを目指すことです。

以下、私の感想。
私はというと高校、大学では数学、英語と技術は得意でしたが、美術、音楽は全く不得手でした。そうか!だから中途半端なエンジニアになったのかと佐治先生のお話を聞いて合点がゆきました。問題解決や新しいものを創り出すには感性が重要ですが、私にはリベラルアーツが欠けていますね。そんな負い目があるので、出張の時には時間を見つけては美術館や博物館に足を運びます。ボストン美術館、ルーブル美術館、大英博物館、ゴッホ美術館、スペインの小さな美術館、イタリアの美術館などなど。

まどみちおさんの詩(地球の用事)
まどみちおさんは玉川大学の真昼の天文台に行かれて6時間も観測室におられて「ああこれがひかりですね」と言われたそうです。そのまどみちおさんの詩に地球の用事というのがあります。
ビーズつなぎの 手からおちた 赤いビーズ 指先から ひざへ ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ ひくいほうへ ひくいほうへと かけていって
たたみのすみの こげあなに はいってとまった
いわれた とおりの 道を ちゃんと かけて いわれた とおりの ところへ ちゃんと 来ました
と いうように 今 あんしんした顔で 光っている ああ こんなに 小さな ちびちゃんを
ここまで 走らせた 地球の 用事は なんだったのだろう

これがリベラルアーツです。

・谷川 俊太郎さんとの対談
言葉はあいまいなものです。しかし、谷川俊太郎さんとの対談で、それほどあいまいでも無いなということが分かりました。佐治先生が「宇宙って膨張しているんです」と言うと谷川さんは「そうですか。宇宙は膨らんでいるんですか。だから皆不安なのですね」と言われました。佐治先生が「地球と月は引き合っているんです」というと谷川さんは「万有引力というのは孤独な力なんですね」と言われました。佐治先生が「宇宙はひずんでいる」というと谷川さんは「そうですか、宇宙は歪んでいるんですか。だから人々は求め合うのですね」と言われました。このように、言葉はあいまいであるがゆえに、文学や詩があるわけで、どちらが良いとも悪いとも言えないものです。数学を解くにはすべて理詰めだけではなく、感性が無いと解けません。世の中の真実は何かを追究してゆくシステムがリベラルアーツです

・能における幽玄とゼロの美しさ
能の世界は1つの能面の中に2つの反対の世界が入っている(顔の左と右)ので、数学のゼロと似ています。数学のy=1/xという分数関数のグラフを書くとxがプラスの方からゼロに近づくとyは大きくなり無限大になる、マイナスの方からゼロに近づくとマイナスの無限大になります。

・なぜまばたきするのか?
なぜまばたきするのかをつめてゆくと、結論は、「人間の祖先は魚だった」なのですが、そこに至るまでの過程を説明されていました。小学生に自ら分からせるために「さあ立って。今から1分間まばたきしちゃダメだよ。まばたきした子は座るんだよ」と言って、まばたきしないことがどれほど大変か、そしてそれはどうしてかを考えさせることでこの結論に持ってゆくわけです。このように深いからくりを感覚的に捉えてゆくのもリベラルアーツ、難しいことを易しく伝えるのもリベラルアーツです。

・なぜバッハか
1977年9月5日NASAの太陽系外惑星探査機ボイジャー1号と2号にバッハのプレリュードとフーガを積もうと言ったのが佐治教授でした。なぜバッハか?それはバッハの音楽がいかに数学的に出来ているかということからです。そういうこともリベラルアーツの延長線上にあるわけです

・月周回衛星「かぐや(SELENE)」が撮影した月越しに見えた地球

この映像は、月周回衛星「かぐや」がその役目を終えて、地球からの指示で月に激突して死ぬ時に、母である地球をとらえた映像で、その1時間40分後に月に激突しました。時は2009年6月11日。空気の無い月面から空気と水の星、地球が見えてくる。「この時のあの青い玉の上に私たちは確実にいたわけです。そういう思いであの水玉を見れるかどうか。それでかなり人生が変わると思いますね。」と佐治先生は言われました。

・自分の顔は自分では見れない!?
鏡で見ている顔は左右反対になっているので、本当の自分の顔は見ることができません。つまり、地球のことを一番知っていると自分では思っていても、実は何も分かっていないということです。

・皆さんへの質問
皆さんの中で「あしたも同じ自分でいられるか心配しながらご就寝された方はおられますか?」
皆さんの体は60兆の細胞で出来ています。その中のDNAのうちの1%は寝てからおきるまでの半日で置き換わっています。細胞は死んでいるからですね。つまり、ものとしての今日の自分は昨日の自分ではありません。つまり、自分を自分にしているのは自分と周りとの関係性で成り立っていると考えるのが一番妥当だと言われました。

以下、私の感想。
ということは、約1ヵ月半で自分が物質としては100%別人になるという事ですね。こころは、過去の自分の行動をパターン化して覚えていて、今日も昨日と同じ行動をした方が安心、安全だと考えるからなのか、又はそのパターンを固定観念として自分はこういう人間だと思いこんでしまっているのか、なかなか変われないのかもしれません。結果を恐れずに、今までとちょっと違う行動をするとうまくゆく事があります。それを続けると、気付いた時にはこころも別人になるのでしょうね。また、自分と言うのは他人との関係性で成り立つということが重要ですから、素晴らしい人に巡り合うのも重要ですね。でも、待ってていてもそういう機会はなかなか訪れないので、自分から機会を作る事でしょうね。今日の佐治先生のお話を聞けたというのも私にとっては大切な財産です。

・月が有っても無くても私たちの生活は変わらないか?
大昔に地球に小惑星が衝突して地球の軸が傾いて、四季ができました。衝突の衝撃で飛び散った岩石が固まったものが月です。月の引力があって地球の自転にブレーキをかけています。この力がないと地球の自転は1日8時間になってしまいます。

・この音は何の音?
カエルの鳴き声のような音ですが、宇宙からやってくる電波を音にしたもので、太陽から吹いてくる太陽風を音にしたものです。風とは目に見えない空気の小さい分子が動くだけではありません。太陽から目に見えない粒粒がたくさんくるのだったら風と言っていいのではないでしょうか?今の学校教育では、風は空気の移動と決め付けてしまう子供を作ってしまうが、これではいけないのではないかと佐治先生は憂いておられます。

・宇宙飛行士が月に行ったら自分の体重は軽くなったと感じるでしょうか?重くなったと感じるのでしょうか?
文部科学省の正解は月は重力が地球の1/6だから、軽くなったと感じるというものです。しかし、小学生の子供の中には宇宙にいるときには無重力状態で、月に着いたら重力があるので、重くなったと感じると言いました。このような考え方が大事です。向井千秋さんが宇宙から帰ってきたときに言ったのは「ティッシュペーパーがこんなに重いとは思わなかったなかった」ということで、それを聞いていた子供たちはこのように答えるのではないでしょうか。

・もし月が無かったらどうなったでしょうか?
もし、月がなかったら地球の自転の速さが3倍になります。そうすると地球上の風速は時速300Kmです。そうするとものすごい音がして音楽を聞くどころではない。だから、もし月が無かったら音楽はなかったですね。このように科学的な裏づけを持ちながら自由な発想をするような教育が大事ですね。

・ジェット機が飛ぶ理屈と水洗トイレの理屈は同じだよね!
この話をしたら東京大学に数十人入るという高校生はキョトンとしていた。こういう人が東大に入って政治家になったらこの国はどうなっちゃうのかな?ジェット機が飛ぶのは翼の上側と下側では風のスピードが違うからです。上側では長い距離を流れるので、スピードが速くなって圧力が小さくなり浮力が出てくるわけです。水洗トイレは下に下水が静かに流れていて圧力が下がってているので水洗トイレは流れてゆきます。ベルヌーイの法則を簡単に説明するとこのようになります。

・人間の奇妙さを実にうまい具合に言っているのが宮沢賢治です
「春と修羅」の第一集の序で、「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。あらゆる透明な幽霊の複合体、風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかに ともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」という文章を紹介されました。これはリベラルアーツをやっていないと分かりませんね。われわれは1つの人格と思ったらおお間違いです。Aさんと会っているときの人格とB君と会っているときの人格、歩いているときの人格と車に乗っているときの人格は微妙に違っています。ですから人は色々な人格の集まりであります。また、私たちの命には限りがありますが、しかしそのときに灯された光は消えないでしょう。

・ことりさんと一本の木の話(新美南吉の小説)
ことりと一本の木は仲良しでした。そしてことりは冬が来るので南の国に帰りました。次の年に戻ってきた時にはその木は切られていて株が残っていました。木は切られてマッチの軸になりました。ことりはマッチを探して一軒の家に行きました。その家の子がつけたマッチの軸で燃やしたランプの火は残っています。つまり、次から次へと受け渡されたものは永遠につづくだろう。その中のリレーに過ぎないということを金子みすゞさんをバチカンでパウロ二世に説明した後にしたそうです。この詩を読んでやはりそこまで思い浮かばないような国語の授業は国語の授業ではないと言われました

・リベラルアーツというものの考えかた
子供のための物語であろうが、大人のための物語であろうが、数学、哲学であろうがそれぞれのこころというものには一貫した共通項があり、それを感じて、自分のものにしてゆくのがリベラルアーツの方法だと思います。言葉を音に変えるとあいまいな物が明確になってゆきます。しかも、それぞれの言語を超えた普遍的言語になります。

・言いたかったこと
「人間って本当に不思議ですよね」。ということを言いたかったのです。つぎにでてくるのは、「人間っていったい何なのか」。これは生き物の進化の途中から見ることができます。

・人間とは
京都大学の霊長類研究所の先生が言うには、人間とは相手の気持ちの分かるチンパンジーです。チンパンジーは相手の気持ちは分かりません。次にこころとは何かについてお話します。

・この音は何の音?
太陽から吹いてくる風の音だと仮定すると、太陽が爆発したときのフレアの電波の音です。電波の原因は、実験的な事実としてこの音を分析して分かることは、今から137億年前に確かに1粒の光から宇宙が生まれてきたことを表している事です。しかも、それは原因のない始まりだったことが分かるそうです。これから太陽は冬眠の状況になりますから、地球が氷河期になることが想定されています。

・核酸と言う物質
地球では水素、酸素、星で作られた炭素、窒素、鉄などが出来上がってゆきます。これから核酸が出来てきます。この核酸が神経のネットワークの中で分子集団に変化が起きると記憶になります。記憶ができるということは、現在と過去を分けることができます。それはつまり、現在と未来を分けることが出来ます。そうすると時間と言う概念が出来上がってきます。その時間と言う概念のおおもとになるのが、こころというものです。そして、自分の未来はどうなるのだろうか?と考えるわけです。

・こころはどうして出来てきたか?
人間が立ちあがるようになったから大きい脳を持つようになり、こころを持つことが出来るようになりました。しかし、立ち上がることによって骨盤が狭くなったので、子供を必要な時間だけおなかに入れておくことができずに早く産まなければならなくなりませんでした(人間は未熟児で産まれてきている)。だから人間は学校で教育を受けなければなりません。人間だけ産まれて来たときには自分ひとりでは生きられない状態です。人間は一人では生きられない。だから集団を作るようになるわけです。その集団を侵略するものがあればその集団を維持するために自分の命と引き換えに戦争をします。だから、人間の世界から戦争はなくなりません。戦争はやめようとして止められるものではありません。では、どうしたら止められるのか。それは人類の進化の途中で何ゆえにあなたは戦うのか、そういうことを科学の立場から理解することによって、そこを出発点としてどうしたら良いのかということが出てくるでしょう。それがリベラルアーツです

以下、私の感想。
大陸では隣り合う国同士が資源や地の利などから領土を広げようと戦争をしてきました。戦争から自国を守ると言う大義で権力者が戦争を利用したり、政治を利用したり、宗教を利用してきました。宗教には他の宗教を受け入れるということはあまりありません。博愛の宗教、助け合う宗教、好戦的な宗教など色々あります。このような宗教の創始者や権力者が、もし、スペースシャトルに乗って宇宙から地球を見ることが出来ていたならば、自説にこだわらず、広い心で思想が形成されたのではないかと想像いたしました。この講義の後で薄羽さんが中心となって30人程の人たちで先生を囲む懇親会を行いましたが、参加者の1人の京さんが、10年ほど前に考えたこととして、サミットを宇宙で開いたら有意義なものになるだろうということを披露して頂きましたが、私も同感です。

・人間らしさとは
人間とは分かち合うことが出来るものです。その辺りの事を絶妙に言っているのが宗教です。特にキリスト教などはまさにそのとおりです。「理解されるより、理解することを求めさせてください。愛されるより、愛することを求めさせてください。それは与えることによって、与えられるからです。許すことによって、許されるからです」。人間は環境に適用するために耐えることが出来ます。ところが、環境の変わり方が早すぎるために適応できないので、耐えることが出来なくなっているだけの話です。そこに気がつく必要があります。

・事業をするためのマネージメント
佐治先生は松下にいたときに1兆円を売り上げました。そのうち、扇風機で500億円売り上げました。そのときのマネージメントですが、ビジョンをいかに持つか。次にビジョンを理念に変える。理念に変えたら組織がどうあらねばということが決まる。組織が決まればタイムスケジュールが決まってきます

以上が、本日の佐治晴夫先生のお話で、持ち時間の20:30を過ぎて21:00過ぎまでお話して頂きました。その後、場所を51階の六本木ヒルズクラブに移動して、30人ほどで先生を囲む懇親会があり、参加させて頂きましたが、先生のお話は尽きませんでした。先生は夜通し話しても良いとおっしゃって頂き、予定の23:00を過ぎても楽しいひと時があっという間のようでした。

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2010年12月23日木曜日

Visionary Institute 2010 Seminar 第9回 佐治晴夫氏「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」 参加報告


Visionary Institute 2010 Seminar第9回 「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」を受講してまいりました。今年4月から始まったこのセミナーも、いよいよ最終回です。今回はクリスマスセミナー。株式会社エムシープランニング代表の薄羽美江さんによるとクリスマスセミナーとはイギリスで行われた年末に本物の科学者から科学の話を聞くというもので、今回はそれにふさわしい佐治晴夫氏をお招きしてのセミナーでした。
全体の感想としては、先生は学生さんに科学を分かりやすく説明するための引き出しをいっぱい持っていて、幾らでも話が尽きない方だと感じました。
・宇宙と音楽
まずは先生を知るためにアメリカの天文学者、SF作家であるカール・セーガン博士の本を映画化した「コンタクト」の映像から始まりました。佐治教授とセーガン博士は1977年、ともにNASAのボイジャー計画に携わりました。この本でカール・セーガン博士から宇宙とのコンタクト方法を相談されて、数学と音楽を一緒にしてコミュニケーションに利用することを提案し、それが映画に採用されました。
・失敗は何度でもしたほうが良い
最初のエピソードは糸川先生とのお話でした。佐治先生は初めの頃は東大の物性研究所に勤めていて、その向かい側に糸川先生の勤めている東京大学生産技術研究所がありました。そこで佐治先生は糸川先生に会う機会があり、そのような時に糸川先生の言われたことで印象に残っていることがあり、それを紹介されました。「人間は1回失敗しただけではダメだよ。何度でも失敗してもいいんだよ」、つまり「ご飯を炊くときに米の量を計るのを間違えて、水の量を計るのを間違えたときに、おいしいご飯が炊けることが有るではないか」、「だから一回失敗したからとしょげていてはダメで、大いに失敗しなさい」とおっしゃられたそうで、それが糸川イズムでした。その糸川イズムから「はやぶさ」が生まれましたが、その話は前回の的川先生がされました。
・クリスマス講義
この講義はクリスマス講義と位置づけてお話をされました。そもそもクリスマス講義は1825年にイギリスの王立教会でマイケル・ファラデーが青少年のために最先端の科学を理解してもらうための科学実験講座で、途中戦争で中断しましたが、今では約183回になるのではないのでしょうか。佐治先生もこの講義を聴かれて、ご自分も日本でクリスマス講義を始められそうです。それから数えて今日のこの講義は126回目あたりということでした。
・「はじまり」とは何か?
先生は元々数学の出身で物理に移り、理論天文学の仕事につながってゆきました。東大に勤めていた頃には予算が少なかったため、日中は松下幸之助さんから声のかかった松下電器の研究所で働き、夜5時15分以降は東大で働くと言う生活をしていたそうです。その頃に考え始めたのが物事の根源的なこと、つまり、始まりでした。本当の始まりとは原因もなく始まらなければならないというところから宇宙の始まりに関心を持ってきました。
・ゆらぎの実用化
松下電器ではその宇宙の始まりにかかわる根源的な「ゆらぎ」の研究をしていて、研究の成果として6時間VTR磁気ヘッド、宇宙の創生の理屈をそのまま使っているヘッドフォン、ゆらぎの扇風機、ゆらぎの風呂などを商品化してゆきました。
リベラルアーツとは?
これまで仕事をしてきた中で必要と考えてきたのがリベラルアーツで、普通は教養と訳されますが、中世ヨーロッパでは、職業教育とは別に人格形成を目的とした教養基礎科目のことを言います。その中には数学、音楽、天文学が含まれております。リベラルアーツとは既存の伝統や風習から大きく心を開放して新しい思想のパラダイムを目指すことです。
以下、私の感想。
私はというと高校、大学では数学、英語と技術は得意でしたが、美術、音楽は全く不得手でした。そうか!だから中途半端なエンジニアになったのかと佐治先生のお話を聞いて合点がゆきました。問題解決や新しいものを創り出すには感性が重要ですが、私にはリベラルアーツが欠けていますね。そんな負い目があるので、出張の時には時間を見つけては美術館や博物館に足を運びます。ボストン美術館、ルーブル美術館、大英博物館、ゴッホ美術館、スペインの小さな美術館、イタリアの美術館などなど。
まどみちおさんの詩(地球の用事)
まどみちおさんは玉川大学の真昼の天文台に行かれて6時間も観測室におられて「ああ、これがひかりですね」と言われたそうです。そのまどみちおさんの詩に地球の用事というのがあります。
ビーズつなぎの 手からおちた 赤いビーズ 指先から ひざへ ひざから ざぶとんへ
ざぶとんから たたみへ ひくいほうへ ひくいほうへと かけていって
たたみのすみの こげあなに はいってとまった
いわれた とおりの 道を ちゃんと かけて いわれた とおりの ところへ ちゃんと 来ました
と いうように 今 あんしんした顔で 光っている ああ こんなに 小さな ちびちゃんを
ここまで 走らせた 地球の 用事は なんだったのだろう
これがリベラルアーツです。
以下、私の感想。
佐治先生の発案で玉川大学の屋上に「昼間の星」を見ると言う天文台を作られました。そのこころは、見えないと思い込んでいる真昼の星を見るという非日常体験をすることにより、思い込みと言うものを考えさせることにあるということでした。私はこのVisionary Instituteに参加して薄羽さんより、この天文台のスタッフをされている潮木さんを紹介されました。この天文台は毎週木曜日に公開されているので、私は2010年7月1日に潮木さんを尋ねて行きこの体験をさせていただきました。話は変わりますが、2011年1月1日のNHKのテレビで山で淡水(好適環境水)でマグロを育てている岡山理科大学の放送を見ました。ここでも、「魚は海水で生きる」というのと、「マグロは海で育つ」というのが思い込みだということを思い知らされました。
・谷川 俊太郎さんとの対談
言葉はあいまいなものです。しかし、谷川俊太郎さんとの対談で、それほどあいまいでも無いなということが分かりました。佐治先生が「宇宙って膨張しているんです」と言うと谷川さんは「そうですか。宇宙は膨らんでいるんですか。だから皆不安なのですね」と言われました。佐治先生が「地球と月は引き合っているんです」というと谷川さんは「万有引力というのは孤独な力なんですね」と言われました。佐治先生が「宇宙はひずんでいる」というと谷川さんは「そうですか、宇宙は歪んでいるんですか。だから人々は求め合うのですね」と言われました。このように、言葉はあいまいであるがゆえに、文学や詩があるわけで、どちらが良いとも悪いとも言えないものです。数学を解くにはすべて理詰めだけではなく、感性が無いと解けません。世の中の真実とは何かを追究してゆくシステムがリベラルアーツです
・能における幽玄とゼロの美しさ
能の世界は1つの能面の中に2つの反対の世界(顔の左と右)が入っているので、数学のゼロと似ています。数学のy=1/xという分数関数のグラフを書くとxがプラスの方からゼロに近づくとyは大きくなり無限大になる、マイナスの方からゼロに近づくとマイナスの無限大になります。
・なぜまばたきするのか?
なぜまばたきするのかをつめてゆくと、結論は、「人間の祖先は魚だった」なのですが、そこに至るまでの過程を説明されていました。小学生に自ら分からせるために「さあ立って。今から1分間まばたきしちゃダメだよ。まばたきした子は座るんだよ」と言って、まばたきしないことがどれほど大変か、そしてそれはどうしてかを考えさせることでこの結論に持ってゆくわけです。このように深いからくりを感覚的に捉えてゆくのもリベラルアーツ、難しいことを易しく伝えるのもリベラルアーツです。
・なぜバッハか
1977年9月5日NASAの太陽系外惑星探査機ボイジャー1号と2号にバッハのプレリュードとフーガを積もうと言ったのが佐治教授でした。なぜバッハか?それはバッハの音楽がいかに数学的に出来ているかということからです。そういうこともリベラルアーツの延長線上にあるわけです
・月周回衛星「かぐや(SELENE)」が撮影した月越しに見えた地球
この映像は、月周回衛星「かぐや」がその役目を終えて、地球からの指示で月に激突して死ぬ時に、母である地球をとらえた映像で、その1時間40分後に月に激突しました。時は2009年6月11日。空気の無い月面から空気と水の星、地球が見えてくる。「この時のあの青い玉の上に私たちは確実にいたわけです。そういう思いであの水玉を見れるかどうか。それでかなり人生が変わると思いますね。」と佐治先生は言われました。
・自分の顔は自分では見れない!?
鏡で見ている顔は左右反対になっているので、本当の自分の顔は見ることができません。つまり、地球のことを一番知っていると自分では思っていても、実は何も分かっていないということです。
・皆さんへの質問
皆さんの中で「あしたも同じ自分でいられるか心配しながらご就寝された方はおられますか?」
皆さんの体は60兆の細胞で出来ています。その中のDNAのうちの1%は寝てからおきるまでの半日で置き換わっています。細胞は死んでいくからですね。つまり、ものとしての今日の自分は昨日の自分ではありません。つまり、自分を自分にしているのは自分と周りとの関係性で成り立っていると考えるのが一番妥当だと言われました。
以下、私の感想。
ということは、約1ヵ月半で自分が物質としては100%別人になるという事ですね。こころは、過去の自分の行動をパターン化して記憶していて、今日も昨日と同じ行動をした方が安心、安全だと考えるからなのか、又はそのパターンを固定観念として自分はこういう人間だと思いこんでしまっているのか、なかなか変われないのかもしれません。結果を恐れずに、今までとちょっと違う行動をするとうまくゆく事があります。それを続けると、気付いた時にはこころも別人になるのでしょうね。また、自分と言うのは他人との関係性で成り立つということが重要ですから、素晴らしい人に巡り合うのも重要ですね。でも、待ってていてもそういう機会はなかなか訪れないので、自分から機会を作る事でしょうね。今日の佐治先生のお話を聞けたというのも私にとっては大切な財産です。
・月が有っても無くても私たちの生活は変わらないか?
大昔に地球に小惑星が衝突して地球の軸が傾いて、四季ができました。衝突の衝撃で飛び散った岩石が固まったものが月です。月の引力があって地球の自転にブレーキをかけています。この力がないと地球の自転は1日8時間になってしまいます。
・この音は何の音?
カエルの鳴き声のような音ですが、宇宙からやってくる電波を音にしたもので、太陽から吹いてくる太陽風を音にしたものです。風とは目に見えない空気の小さい分子が動くだけではありません。太陽から目に見えない粒粒がたくさんくるのだったら風と言っていいのではないでしょうか?今の学校教育では、風は空気の移動と決め付けてしまう子供を作ってしまうが、これではいけないのではないかと佐治先生は憂いておられます。
・宇宙飛行士が月に行ったら自分の体重は軽くなったと感じるでしょうか?重くなったと感じるのでしょうか?
文部科学省の正解は月は重力が地球の1/6だから、軽くなったと感じるというものです。しかし、小学生の子供の中には宇宙にいるときには無重力状態で、月に着いたら重力があるので、重くなったと感じると言いました。このような考え方が大事です。向井千秋さんが宇宙から帰ってきたときに言ったのは「ティッシュペーパーがね、こんなに重いとは思わなかったなかったわ」ということで、それを聞いていた子供たちはこのように答えるのではないでしょうか。
・もし月が無かったらどうなったでしょうか?
もし、月がなかったら地球の自転の速さが3倍になります。そうすると地球上の風速は時速300Kmです。そうするとものすごい音がして音楽を聞くどころではない。だから、もし月が無かったら音楽はなかったですね。このように科学的な裏づけを持ちながら自由な発想をするような教育が大事ですね。
・ジェット機が飛ぶ理屈と水洗トイレの理屈は同じだよね!
この話をしたら東京大学に数十人入るという高校の生徒さんはキョトンとしていた。こういう人が東大に入って政治家になったらこの国はどうなっちゃうのかな?ジェット機が飛ぶのは翼の上側と下側では風のスピードが違うからです。上側では長い距離を流れるので、スピードが速くなって圧力が小さくなり浮力が出てくるわけです。水洗トイレは下に下水が静かに流れていて圧力が下がってているので水洗トイレは流れてゆきます。ベルヌーイの法則を簡単に説明するとこのようになります。
・人間の奇妙さを実にうまい具合に言っているのが宮沢賢治です
「春と修羅」の第一集の序で、「わたくしという現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。あらゆる透明な幽霊の複合体、風景やみんなといっしょにせわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかに ともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」という文章を紹介されました。これはリベラルアーツをやっていないと分かりませんね。われわれは1つの人格と思ったらおお間違いです。Aさんと会っているときの人格とB君と会っているときの人格、歩いているときの人格と車に乗っているときの人格は微妙に違っています。ですから人は色々な人格の集まりであります。また、私たちの命には限りがありますが、しかしそのときに灯された光は消えないでしょう。
・ことりさんと一本の木の話(新美南吉の小説)
ことりと一本の木は仲良しでした。そしてことりは冬が来るので南の国に帰りました。次の年に戻ってきた時にはその木は切られていて株だけが残っていました。木は切られてマッチの軸になっていました。ことりはマッチを探して一軒の家に行きました。その家の子がつけたマッチの軸で燃やしたランプの火は残っています。つまり、次から次へと受け渡されたものは永遠につづくだろう。その中のリレーに過ぎないということを金子みすゞさんをバチカンでパウロ二世に説明した後にしたそうです。この詩を読んでやはりそこまで思い浮かばないような国語の授業は国語の授業ではないと言われました
・リベラルアーツというものの考えかた
子供のための物語であろうが、大人のための物語であろうが、数学、哲学であろうがそれぞれのこころというものには一貫した共通項があり、それを感じて、自分のものにしてゆくのがリベラルアーツの方法だと思います。言葉を音に変えるとあいまいな物が明確になってゆきます。しかも、それぞれの言語を超えた普遍的言語になります。
・言いたかったこと
「人間って本当に不思議ですよね」。ということを言いたかったのです。つぎにでてくるのは、「人間っていったい何なのか」。これは生き物の進化の途中から見ることができます。
・人間とは
京都大学の霊長類研究所の先生が言うには、人間とは相手の気持ちの分かるチンパンジーです。チンパンジーは相手の気持ちは分かりません。次にこころとは何かについてお話します。

・この音は何の音?
太陽から吹いてくる風の音だと仮定すると、太陽が爆発したときのフレアの電波の音です。電波の原因は、実験的な事実としてこの音を分析して分かることは、今から137億年前に確かに1粒の光から宇宙が生まれてきたことを表している事です。しかも、それは原因のない始まりだったことが分かるそうです。これから太陽は冬眠の状況になりますから、地球が氷河期になることが想定されています。
・核酸と言う物質
地球では水素、酸素、星で作られた炭素、窒素、鉄などが出来上がってゆきます。これから核酸が出来てきます。この核酸が神経のネットワークの中で分子集団に変化が起きると記憶になります。記憶ができるということは、現在と過去を分けることができます。それはつまり、現在と未来を分けることが出来ます。そうすると時間と言う概念が出来上がってきます。その時間と言う概念のおおもとになるのが、こころというものです。そして、自分の未来はどうなるのだろうか?と考えるわけです。
・こころはどうして出来てきたか?
人間が立ちあがるようになったから大きい脳を持つようになり、こころを持つことが出来るようになりました。しかし、立ち上がることによって骨盤が狭くなったので、子供を必要な時間だけおなかに入れておくことができずに早く産まなければならなくなりませんでした(人間は未熟児で産まれてきている)。だから人間は学校で教育を受けなければなりません。人間だけ産まれて来たときには自分ひとりでは生きられない状態です。人間は一人では生きられない。だから集団を作るようになるわけです。その集団を侵略するものがあればその集団を維持するために自分の命と引き換えに戦争をします。だから、人間の世界から戦争はなくなりません。戦争はやめようとして止められるものではありません。では、どうしたら止められるのか。それは人類の進化の途中で何ゆえにあなたは戦うのか、そういうことを科学の立場から理解することによって、そこを出発点としてどうしたら良いのかということが出てくるでしょう。それがリベラルアーツです
以下、私の感想。
大陸では隣り合う国同士が資源や地の利などから領土を広げようと戦争をしてきました。戦争から自国を守ると言う大義で権力者が戦争を利用したり、政治を利用したり、宗教を利用してきました。宗教には他の宗教を受け入れるということはあまりありません。博愛の宗教、助け合う宗教、好戦的な宗教など色々あります。このような宗教の創始者や権力者が、もし、スペースシャトルに乗って宇宙から地球を見ることが出来ていたならば、自説にこだわらず、広い心で思想が形成されたのではないかと想像いたしました。この講義の後で薄羽さんが中心となって30人程の人たちで先生を囲む懇親会を行いましたが、参加者の1人の京さんが、10年ほど前に考えたこととして、サミットを宇宙で開いたら有意義なものになるだろうということを披露して頂きましたが、私も同感です。
・人間らしさとは
人間とは分かち合うことが出来るものです。その辺りの事を絶妙に言っているのが宗教です。特にキリスト教などはまさにそのとおりです。「理解されるより、理解することを求めさせてください。愛されるより、愛することを求めさせてください。それは与えることによって、与えられるからです。赦すことによって、赦されるからです」。人間は環境に適用するために耐えることが出来ます。ところが、環境の変わり方が早すぎるために適応できないので、耐えることが出来なくなっているだけの話です。そこに気がつく必要があります。
・事業をするためのマネージメント
佐治先生は松下にいたときに1兆円を売り上げました。そのうち、扇風機で500億円売り上げました。そのときのマネージメントですが、ビジョンをいかに持つか。次にビジョンを理念に変える。理念に変えたら組織がどうあらねばということが決まる。組織が決まればタイムスケジュールが決まってきます
・真昼の星
先生の本日のクリスマスギフトとして北海道の陸別にある銀河の森天文台で115cmの望遠鏡でとってきた青空の中での真昼の星を撮影されたものを見せて頂きました。先生は金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」という詩を紹介されました。
青いお空の底ふかく、 海の小石のそのやうに、 夜が来るまで沈んでる、 昼のお星は目に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、 見えぬものでもあるんだよ。
常時昼の星を観測できるのは銀河の森天文台と旭川の天文台です。そして毎週木曜日に観測できるのが玉川大学の天文台です。

以上が、本日の佐治晴夫先生のお話で、持ち時間の20:30を過ぎて21:00過ぎまでお話して頂きました。
その後、場所を51階の六本木ヒルズクラブに移動して、30人ほどで先生を囲む懇親会があり、参加させて頂きましたが、先生のお話は尽きませんでした。先生は夜通し話しても良いとおっしゃって頂き、予定の23:00を過ぎても楽しいひと時があっという間のようでした。
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2010年12月4日土曜日

Visionary Institute 2010 World Cafe 第9回 「成功の法則」とはどのようなことですか?参加報告


Visionary Institute 2010 World Cafeの第9回は、的川泰宣氏の”飛翔のイノベーション”未来を開発する宇宙探索というセミナーを受けて、私たちにとって現在、未来での「成功の法則」とはどのようなことですか?そしてそれを実現するためには「何」が大事ですか?について、株式会社エムシープランニング代表の薄羽美江さんのファシリテートにより対話を行いました。
寺沢さんによる的川泰宣氏のセミナーの報告
毎回、その回の題材となるセミナーのサマリーを薄羽さんがされているのですが、今回はメンバーにJAXAで宇宙線が人体に及ぼす影響を研究している寺沢さんがいて、寺沢さんが今回の説明を薄羽さんに申し出てくれました。寺沢さんは研究の傍ら、日本科学未来館などで来館者へのセミナーをやられているようなので、人に教えると言うことが身についておられるように感じました。寺沢さんの発言は最近で印象に残っているのは、第7回では母なるものとは”積分”である。父なるものとは”微分”である。第8回では未来に大事な能力として、コミュニケーション、強調、自己愛、喜怒哀楽、慮るなどの意見がでるなか、あえて反対意見を言って問題点を洗い出してゆき、結果として高めあってゆく。第9回である今回は成功の反対は失敗ではない。何もしないことだ。などでした。
解説は「はやぶさ」が宇宙から地球へ帰還してオーストラリアの上空で燃え尽きる写真から始まり、続いて、ロケットで打ち上げられたときから、色々の故障をしてゆく経過を説明され、ついには生命線の通信がとだえてしまい、さすがに、今まで色々な故障を繰り返してきてもなお、飛びつつけている「はやぶさ」を信じてきたチームも絶望になりながらも、通信を続けていった様子が説明されました。何とか通信が戻ったのですが、通常の通信が出来ない状況で、「はやぶさ」の5年前に打ち上げられた火星探査衛星「のぞみ」での1ビット通信(2進数の世界で1桁は1か0、つまり、"yes"か"no"。例えば息子にどこにいる?とは聞けないので、今、学校にいる?答えは"no"を延々と繰り返して場所を絞ってゆくとても辛抱のいるやりとりです)と言うノウハウが生かされることとなり、「はやぶさ」の制御が可能となった。地球に帰還した「はやぶさ」が燃え尽きる前に送ってきた宇宙から見た地球の映像は霧がかかったような画像だったが、その画像の状態が「はやぶさ」の痛々しい姿を物語っていてすばらしかった。
それにしても、的川泰宣氏の「はやぶさ」のまるで人間模様のようなお話は、薄羽さんも言っておられましたが、会場では多くの方が感動し、目頭が熱くなる人が見られました。私も、父が亡くなったときには涙もでなかったのですが、このようなお話にはつい目頭が熱くなっていました。全て印象深いお話ですが、女性には特にあたかも子供のようなカプセルを育てて、母親は燃え尽きてゆくというところに感動したようです。私は「はやぶさ」を送り出す直前に、4つのエンジンに何か障害があったときのために、それぞれのエンジンの使えるところを組み合わせて使えるようにしていたことと、3つあった姿勢制御用の機器が全て故障した状況で機転を利かして推進用のエンジンを姿勢制御にも使った技術者のおかげで姿勢制御が可能となり、その前に不完全ながら回復した通信とそれを使った地上のエンジニアの習得した制御技術、これら全てが重なって地球に帰還できた、このチームワークに感動しました。ここには多くの困難とそれを乗り越えた大きな成功があったわけです。
人間模様といえば、燃え尽きる「はやぶさ君」を思い、5歳の少女が手紙を書き、それをお父さんがJAXAへ送ったそうですが、その手紙が紹介されておりました。以下、「あすかははやぶさ君が大好きです。でも、はやぶさ君がもうじき消えてなくなるという話を聞きました。でも、あすかははやぶさ君が大好きなので、一生、はやぶさ君のことを思い続けます」。
そして的川先生はお話の最後で以下のようにまとめられました。
幼い共感と感動が未来を作る
小中学校は高校の準備だけではない。「命を輝かせる最も大切なチャンス」を身に付ける時期である。
・毎日毎日が人生でもっとも大切な時期である可能性が高い。
・着眼大局 着手小局
そして、最後に「適度な貧乏」。これが「はやぶさ」が成功した原動力だったようです。
私も当日の的川先生のお話をお聞きしてその感想をこのブログの別の回で記録しておりますので、ここをクリックしてご欄頂ければと思います。
今回の対話は、この「はやぶさ」プロジェクトには教訓とするべきものが多く有ったので、ここでの多くの失敗と大きな成功を頭に入れつつ、成功するには何が大切かを話し合いました。


各グループ発表のまとめ
薄羽さんがこのように磁石で貼り付けるホワイトボードに、各グループのまとめを聞きながら書き留めるということを始めたのはここ2-3回前からなのですが、多分、皆さんそう思うと思いますが、「字がきれい」、「瞬間的にキーワードをつかんで簡潔にまとめるのは、すばらしい」、「漢字を一杯知っていてすぐ書ける(対話の中で、皆さん異口同音に漢字を忘れてしまったのでひらがなで書きますけどいいですか?というような話があちこちでされています)」。WorldCafeではテーブルクロスにその場で書きながら対話を深めてゆき、テーブルを移動して色々な意見と出会うというのが、第一義的に重要ですが、その場で振り返って全員で共有しあうというのが更に大事だと思います。また、わたしのように何日も日を置かずに皆さんが見れるようにまとめを作って振り返れるのも大切だと思います。また、毎回参加された方から薄羽さんにメールで送られた各グループでの感想なども貴重で、これが皆さんで共有できたらいいのにと思っていましたが、参加者がログインして見れるWikiサイトを曽根さんが運用しておられるので、総合的に有機的に結びついた良い企画だと思います。


各グループのまとめを図式化してみました


Aチーム発表
かおるさんの発表
成功には何が必要かを考える上で、成功と失敗を対比して考えてみました。つまり、
成功への希望 と 失敗への恐れ
いけないこと: 失敗は恐れてはいけない
なぜいけないか: 失敗を恐れてチャレンジしないと失敗の副産物をえることができない
何が必要か: 自信が必要
何が重要か:リスクをとるマインドやチャレンジが大事
自信を得るには: 成功するにはやり続ける不屈の意思
やり続けるには: 小さな成功の積み重ねにより、成功の確度を高める
Aチームは、京さん(男性)、国際ホスピタリティ研究センターの青柳さん(男性)などがいる強力チームですね。



Aチームのテーブルクロスを図式化してみました


Bチーム発表
寺沢さんの発表
「成功」の反対は失敗ではなく、「何もしないこと」だと考えている。
失敗は成功のもと。失敗を積み重ねることにより成功に近づける。
成功の定義は人まちまちで、自分で決めればよいこと。
だから、自分が楽しいことを続ければよい。
新しいことを始めると必ず失敗するので、あきらめないことが重要。
自分の本業以外のことをすると、自分の本業が新鮮な目で見られる。好奇心が大事。
人の話を聞いていると常に出るキーワードが好奇心ということなので、やはり好奇心が大事だと思います。
小さい成功を積み重ねてゆくことが大事。
Bチームには寺沢さん(男性)、清水さん(女性)などがいる思いの強いチームですね。初めての方(女性)がお一人おられたようです。


Bチームのテーブルクロスを図式化してみました


Cチーム発表
曽根さんの発表
チームとしての成功 と 個人個人の成功
個人個人なら自分が好きなことに熱中すればよいのかもしれないが、チームとしては、チームとして熱中できるものをだれかが持ち込まなければならない。チームの大きな目標をきちっととらえて、そこに向かってゆく中でこまかく方向転換をして成功を目指すようにする。
CチームにはVisionary Instituteの仕掛け人の一人である曽根さん(男性)、久しぶりの伊藤さん(男性)などのチームです。


Cチームのテーブルクロスを図式化してみました


Dチーム発表
片山さんの発表
一番大切なこと: あきらめないこと。これがないと成功に導かない。
あきらめないと言うことは: 「光」があることです。
これを実現するのになにが必要か: ポジティブでいなければならない。つまり、前向きでいること。
前向きでいるためには: 楽観的でなければならない。
楽観的だからといって中途半端ではなく、本気で、命がけで頑張らなければならない。本気で生き抜くことが大切。
そして、皆で「夢」を持つて頑張ることが大切。
片山さんの発表が終わると、京さんから「何かわからなかったけど、元気になりましたね。」とか、女性から「すごい素敵だった」とか、「皆に元気を与える」という声があがりました。励まされるような発表ありがとうございました。
私たちDチームは、何回か参加されている片山さん(女性)、初めの頃から参加されている玉川大学の天文台を守っている潮木さん(女性)、Facebookですばらしい場所や気に入った情報などを画像で提供している石橋さん(男性)、そして小城でした。潮木さんによると、12月21日(火)の16:30ころから東の空では皆既月食がみられるそうなので思い出したら、この時間には仕事の手を休めて東の空を見上げてみてください。


Dチームのテーブルクロスを図式化してみました


Eチーム発表
ワールド・カフェが初めての方が二人いて、この方から5秒で結論が出たと言って、言われたことが最後まで対話の柱になりました。
やりたいこと好きなことを見つける
そして、やりたい事をやり続ける信念と力を持つことが大切です。
やりたいことをみつけるのは難しいですね。それには好奇心が必要。
日本人はなかなかチャレンジをしなくなっている。チャレンジをするためには、チャレンジするための教育は重要だ。
好奇心から成功を重ねて自己愛、自己肯定/他者肯定をしてやり続けるというサイクルが回ってゆくことが重要。
Eチームは高野さん、曽田さん、藤原さんなど、他の方のお名前は覚えておりませんが、初めての方が二人おられたチームです。


Eチームのテーブルクロスを図式化してみました


薄羽さんからの総括
薄羽さんが的川先生の講演で心に残った2つの言葉について話されました。1つは講演の最後のほうにおっしゃった言葉に「小学校5年生の時が大事だったんではないかな」。その頃に本当に好きなことに出会って、諦めない不屈の精神をもつようになることが大事であるということでした。私の5年生の頃は毎週、戸塚から秋葉原に出かけていって、電子パーツ屋さんで小さな皿にダイオード1つ、抵抗1つ、コンデンサー1つ等とユニバーサル基板など必要な部品を買い集めて、よく火傷をしながらハンダごてで電子製作をしていたことを思い出しました。的川先生は、今では衛星などのプロジェクトを手がける科学者ですが、子供の頃には、つぶしがきくからと、父親から法律家を目指しなさいと言われたそうですが、それに反発して工学を目指したそうです。
2つめは、プロジェクトは一生に一度チャンスが巡るかどうかである。参加している技術者は、このプロジェクト自体は7年前に始まったわけですが、そのプロジェクトに入る前の大学院生のころから続けてきたことが、このプロジェクトに結集したわけで、その強い思いがあったからこそ、4つのエンジンを裏でつないでいて、それぞれをパーツとして組み合わせるということをしたわけです。それ自身は、長年の研究の成果としてすばらしい設計でしたが、はやぶさを衛星に載せる少し前の設計変更をしてはいけない時期に、ぎりぎりまで方式を考え抜いて出した結論が、やっぱり、4つのエンジンをつないでおこうということでした。それでメーカーの方と相談して、線でつなぐと重さに影響が出るので、ダイオードでつなぐという方法でそれを実現したようです。ルールでは、してはいけない事をしたわけですが、それを聞いた川口淳一郎プロジェクトマネージャは、それを責めることなく、そして見事に日本の宝、誇りが誕生したわけです。プロジェクトのメンバー一人一人の責任感とそれを信頼してまとめているリーダーだからこそ実現出来た結果でした。
ぜひ皆さんも小学校5年生の頃を思い出し、しかし、一方では与えられている今の場と言うものの中では、一人一人は何にチャレンジし、チームとしてはなにを目標にして熱中しているかをはっきりさせることが大事です。日本人がチャレンジすることを見失いつつある今、チャレンジする心を持たせる教育という事が大事なのではないか。見守ると言う大局的な心が大事ではないか。


今日のサプライズは、学校の先生をされている清水さんが少し早いクリスマスプレゼントと言うことで、トゥインクル、つまり2つの星の形に焼いたクッキーを2つずつラッピングして参加者の方々のために持ってきてくれました。ずっと眺めていたかったのですが、誘惑に負けて食べてしまいました。おいしかったです。ありがとうございます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



次回のセミナーは最終回で「私たちはどこからきて、どこにいくのだろう」という非常に哲学的な題で、12月最後のクリスマスレクチャーです。講師は宇宙創生の揺らぎについては第一人者の佐治晴夫さんにお話頂きます

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2010年11月26日金曜日

Visionary Institute - 2010 Seminar 第8回 的川泰宣氏による「飛翔のイノベーション -- 未来を開発する宇宙探索」サマリー

本日のVisionary Institute - 2010 Seminar 第8回はJaxa名誉教授の的川泰宣氏による「飛翔のイノベーション -- 未来を開発する宇宙探索」でした。先生のお話は一言で言って、日本人、日本の若者に元気を与えるような感動的なお話でした。先生は「小惑星探査機 はやぶさ物語」にその多くにエピソードを書かれていて、多くの人に読まれているのですが、やはり、ご本人のやさしい肉声でお話しされるのを聞いていると、そのお人柄に触れられて素晴らしい時間を過ごすことができました。家に帰ってすぐ、高校生の二男にこのエッセンスを話して、励ましました。「若者よ頑張れ」。

さて、お話を順に思い出して書き連ねてゆこうと思います。
まず、「はやぶさ」は2003年5月9日に打ち上げられました。当初4年で帰還する予定が、色々なトラブルの結果7年かかって帰ってきました。設計では、4年で戻ることを想定した耐久性だったそうで、7年たって帰ってきても帰還できないのではという不安があったそうです。

先生が「はやぶさ」の話をされると、偉業への賞賛の声よりは「共感」や「共鳴」を感じたという声が多かったそうです。つまり、何度となくトラブルに遭遇しながら、それを乗り越えて目的を達成した後、自らは燃え尽きて果てるという壮大な物語に共感したようです。

お母さんからは、「はやぶさ」は、お母さんのように自分だけがバラバラになって、産んだ子だけが育っているという声も聞かれたようです。設計では「はやぶさ」は大気圏に突入して燃え尽きるのではなく、役割を終えたら本体のガスジェットを使って大気の外に出して、その姿をとどめようとしていたそうですが、ガスジェットの燃料を使い切ってしまったので、それも叶わず、大気圏に突入して燃え尽きたということでした。


宇宙の岩石を持ち帰る対象の衛星を、なぜ「糸川」にしたかというと、糸川は500m位の大きさで、熱変性していないので、出来た頃の岩石成分がそのまま残っている可能性があったからだそうです。大きい星では、太陽の熱などを受けてその岩石成分が変性してしまっている可能性が高いそうです。

「はやぶさ」の命名のエピソードとしては、はやぶさという鳥のように目がよく、狙った獲物を捕まえて帰ってくると言う様子に似ているのでこの名前にしたそうです。しかし、的川教授は「アトム」という名前にしたかったそうですが、チームの人たちの意見に勝てずにこの名前を受け入れたそうです。

「はやぶさ」という鳥のようにすばやく行動してと行きたいのですが、地球からどんどん離れてゆく「はやぶさ」に電波が届くまで15分以上、そしてそれを受けて、それに応えてきた電波が地球に届くのに同様に15分以上かかるということで、星にぶつかるとか分かるにに15分以上、対処するように指示を出して伝わるまでに15分以上と、とんでもなく制御が難しいと言う点は、自分で判断して行動するというプログラムを与えて切り抜けようとしたわけです。その、判断しなければならない状況を考えれるだけ想定して、それらに自らの判断で対応できるようにしたわけです。これも、「はやぶさ」の世界初の試みで、それが成功の一因だったわけです。

さて、実は「はやぶさ」は実験システムで、将来の実用化に向けての実験のためのもので、「はやぶさ」の目指した技術は以下のとおりでした。

①イオンエンジン(今までのエンジンと違い、ものを燃やさないエンジン)を行き、帰りのためにのみ使う。
②姿勢制御は3軸をそれぞれ制御するための3つのこまと、姿勢制御の推進力を付けるためのガスロケット。
③着陸-サンプル収集-離陸という世界初の動きをさせる。今まで着陸するだけと言うのはあったが、離陸して戻ってくるというのははじめての試み。
④地球帰還。大気に突入する際に表面は3,000度以上になるが解けそうになっては固まり、また解けそうになっては固まりというのを繰り返しながら、しかし、解けないカプセルの中は50度程度に抑えることが出来た。

これらの実験の結果、分かったことは、どんなに志が高くとも、技術力がなければうまく行かないと言うことが実証された。

これらの成果は、科学雑誌として有名なSCIENCE1冊に「はやぶさ」の特集号が組まれて発表されました。

これらの試みでは新しい技術が考案されたが、それらは皆、若い人たちの議論から出来上がってきて、若い人たちはチャンスを与えて、本人の志が高ければ、大きな心を持つ人が育つというのを実感したようです。
つまり、現場が人を育てるという実感が持てた瞬間だったようです。

最終的には「はやぶさ」は4つあるエンジンの4つとも故障してしまいました。4つのエンジンはイオン源と中和器がありますが、それが対ではじめてエンジンとして使えます。エンジンを設計したエンジニアは「はやぶさ」を送り出す直前に、4つのエンジンに何か障害があったときのために、それぞれのエンジンの使えるところ(つまり、4台の1つのエンジンのイオン源と別のエンジンの中和器)を組み合わせて使えるようにしていたことと、3つあった姿勢制御用の機器が全て故障した状況で機転を利かして推進用のエンジンを姿勢制御にも使った技術者のおかげで姿勢制御が可能となり、その前に不完全ながら回復した通信とそれを使った地上のエンジニアの習得した制御技術、これら全てが重なって地球に帰還できました。


「はやぶさ」と地球のオペレーションとの命綱は通信ですが、色々なトラブルの1つとして通信できないと言うトラブルがあったそうです。そのときには、今までの衛星技術の経験から、通信が完璧でなくわずかな情報しか扱えない場合、その最低限の情報が1ビットだそうです。この1ビット(1か0、yesかno)などの情報を少しずつ交換しながら推定して言って確実になるという果てしなく時間のかかることを忍耐強く続けて、最低限必要なオペレーションを遂行できたわけです。

そして、「はやぶさ」の燃え尽きる前の最後の仕事は宇宙から地球の写真を送ってくることでした。これも無事成功しました。

この燃え尽きる「はやぶさ」をいとおしく思ったのは母親の方たちだけでは有りませんでした5歳の少女もはやぶさを「はやぶさ君」と呼び、「はやぶさ君」へ手紙を書きました。それをお父さんがJAXAへ送ったそうですが、その手紙が紹介されておりました。以下、「あすかははやぶさ君が大好きです。でも、はやぶさ君がもうじき消えてなくなるという話を聞きました。でも、あすかははやぶさ君が大好きなので、一生、はやぶさ君のことを思い続けます」。

お話の最後は以下のようにまとめられました。
幼い共感と感動が未来を作る
小中学校は高校の準備だけではない。「命を輝かせる最も大切なチャンス」を身に付ける時期である。
毎日毎日が人生でもっとも大切な時期である可能性が高い
着眼大局 着手小局

そして、最後に「適度な貧乏」。これが「はやぶさ」が成功した原動力だったようです。アメリカでの衛星の開発には500億円程度かけられるのですが、日本の場合、150億程度で、全くの貧乏ならば衛星など作るには資金がなかったわけです。そんなことから、適度な貧乏があれば、少ない資金でどうにかしようと努力するわけです。




























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2010年11月21日日曜日

「販売の現場力」強化プロジェクト 薄羽 美江著を読んで


本日、Amazonで薄羽さんの書かれた本を読ませて頂きました。
以下、Amazonに書いたレビュー文
この本は「販売の現場」である店舗の販売スタッフへのブランド意識教育がいかにあるべきであるかを的確に実例を交えて伝えられた本ですが、読むべき人は現場の人のみならず、経営する側の人にこそ読むべき本であると思いました。
実際に商品を買う顧客が何を求めているかを知ってそれを商品へとしてゆくわけですが、当たり前のことですが、良い商品を作れば売れると言うものでもないということは万人が認めるところだと思います。現場で直接お客様と向き合いニーズを聞き、またそれをどのように提案してゆけばよいかというところで、お客様は自分と接している人、その人が会社、商品のイメージにつながるので販売員、一人一人がブランドイメージを更に高める絶好に位置に位置していることを誇りに思い働かなければならない重要性を説いている実用書ととらえてよいと思います。
また、特に販売員の研修に携わる方には、今一度、その役割を思い起こして頂くきっかけになる本であると強く感じました。私は企業でパートナーの方の技術教育を長年してきて、エンジニアの人に1から10まで細かく書かれた資料を用意して教育をしてきました。販売員の教育とエンジニアの教育では立場は異なりますが、「トレーナーは「怠け者」であるべき!?」と言った説明のところでは共感するものがあります。1から10まで全て手取り足とりで説明するのではなく、自ら考える場面を増やしてゆくように資料は最低限にしなければならないということでした。わたしは常に聞かれるであろう事を想定して全てを資料に盛り込もうとするくせがありますが、それが受講者の考える意欲を失わせているのは確かです。そういう意味で色々な立場の人に読んでもらいたい本であると思います。
「ブランドは経営の意思によって育てるもの」とはまさにそのとおりだと思います。私は外資系8社に勤め、その規模は10数万人の会社からシリコンバレーの数千人の会社、はたまた自分で起こした数人の会社と経験していて、今また10数万人規模の会社にいて思うことは、いくら会社が大きくなっても、また、雇われ経営者であっても、経営ビジョンを末端まで伝える役割が重要だと思います。今は、目先の仕事をしていて、この先の自分なりのビジョンは有っても会社は買収、買収を繰り返してゆく、それはそれで時代が求めているものでよいのかもしれませんが、そこでブランドというものが薄れてゆくのがはっきりと感じられています。そして、そこで教育されているのは数人で興したときの、世界中に知られているエピソードで、それはそれとして伝え継いでいかなければならないのですが、それよりもこれからどういうブランドにしてゆくのかをはっきりと考え、伝えてゆかなければ、いずれはほころびが出てくるのは歴史が物語っています。そういったような、大事なことが一杯入っている本です。

・書籍のご紹介

2010年11月5日金曜日

Visionary Institute 2010 World Cafe 第8回 「私たちにとって大事な能力とは何か」 参加報告


Visionary Institute 2010 World Cafeの第8回は、高間邦夫氏の”人財のイノベーション”というセミナーを受けて、私たちにとって現在、未来に「大事な能力」とはどのようなことですか?そしてそれを身に付けるためには「何」が大切ですか?について、対話を行いました。
各グループの結論のキーワード以下のようにまとまりました。
Dチーム
1.セルフマネージメント(自信、自律、行動)
Eチーム
1.慮る(おもんぱかる)
2.自己愛
3.生命観
Cチーム
1.勇気
2.陽気(ポジティブ)
3.変化対応力
Aチーム
1.喜怒哀楽
2.察する力
Bチーム
1.知らない人と話す力
2.勇気
各グループのまとめを図式化してみました。

では、以下が各グループの対話の記録となります。
Aチーム(発表:潮木さん)
1.喜怒哀楽
・楽しさばかりでは変化に気づけない。外的な変化がなければその状態にいることに気づけないのではないか。
2.察する力
・相手と自分が違うものであることを受け入れて対話をすれば違いを恐れることはない。そういうことを経験してゆけば察する力を身に付けられるのではないか。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
全体的には「大事な能力」とはコミュニケーションであり、コミュニケーションするためには「何」が必要かというと、自己の確立と他者を思いやるような総合的な人間力を高める必要があるということで、それを喜怒哀楽、察する力に代表させてまとめられた点ではこのグループの共通認識が編集された良いキーワード選びだと思います。そういえば、最近、自分の感受性が低くなってきて、感動したということが少なくなったような気がするので、仕事を離れてワールドカフェに参加すると言うのは有益だと、あらためて気づきました。
他花受粉(他のグループメンバーが来て意見が交わる)という観点からみると、他花受粉によりコミュニケーションの中身が充実してきたように見えます。しかし、書記が3人くらいいて同じ事を書いているので、Bチームもそうですけど、1人が書記でその他の人は対話に集中したほうが良いのではと思います。
AチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合? 

Bチーム
1.知らない人と話す力
・コミュニケーション能力と言う言葉がビジネス的に見るとあまりいい意味で使われてはいない。つまり、上司が言うことを部下が理解できないときに、上司が部下のことをコミュニケーション能力がないから理解できないというように使われているのではないか。ですから、コミュニケーション能力と言わずに、知らない人と話す能力と言わせてもらいます。
・自ら強い力がないと知らない人と話すことができない
・強い力を出すためには自分で自分を判断する力が必要
2.勇気
・知らない人と話すには非常に勇気が必要である
・人と話すときにあえてバランスを崩すことによって差異を読み、受容があって相手と高めあってゆく変容してゆく
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
自分のチームなので、最初からの流れが分かっているので、あらためて見直すと、最初に話された「コミュニケーションが重要で」、そのためには「自分で考える力が必要」であり、議論する際には「あえて反対意見を言ってバランスを崩すと良い結果が期待できる」というところまで話し合ったところまでで、別のグループに行って帰ってきた印象は、この流れのまま、それを補足するように「相手をおもんぱかる」とか、「知らない人と話をするには勇気がいる」とかが加わったので、他花受粉としては少し物足りなかった。
BチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合? 

Cチーム
1.勇気
・生産的に相手とけんかしてとディスカッション
・相手のところに飛び込んでゆくような勇気
2.陽気(ポジティブ)
・コミュニケーション能力、挨拶
・コミュニケーションには相手も自分もお互いに重要である
・自分がポジティブ(陽気)
3.変化対応力
・今、自分がどこにいるのかを自分で考える力
・変化に勇気をもって飛び込んでゆく
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
基本的には人と人のつながりという観点から、話し合いのための勇気、その場への適応力やかかわるための勇気などからスタートしたように見えます。他花受粉においても、それを補完するように、情熱、陽気、洞察力、話し合いを実りあるものにするための生産的な喧嘩といった話題が加わったようです。
しかし、Aチーム同様、3人が書記のようで同じ事を書いています。書記は一人で、ほかの人は対話に集中したほうが良いのでは?
CチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Dチーム(発表:青柳さん)
1.セルフマネージメント(自信、自律、行動)
・セルフマネージメントとは自信を持って、自律的に、責任のある行動をマネージメントする
・自分で考える能力
・共感し、人とつながる能力、また、それを動的な関係性にもってゆく力
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
このグループは「能力とは」からスタートしたように見えます。そして、「能力にはどんなものがあるのか」そしてその能力が将来に対してどのように役立つのか。他花受粉では他のグループでのキーワード、コミュニケーション、喜怒哀楽、受容する能力、自分で考える力、挨拶などが加わったのですが、そのためには自分がしっかりしている必要があると結論付けて、キーワードとしてはセルフマネージメントになったのは、発表者の思いが自律にあったのだと理解できます。
DチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Eチーム(発表:石橋さん)
1.慮る(おもんぱかる)
2.自己愛
3.生命観(宇宙観)
大事な能力はコミュニケーション能力で、知らない人と話す能力であり、その中で言葉、相手を慮り、相手との距離感を確かめ、そして届ける。
思いの距離感や時愛き(ときめき)を共有する場が重要であるが、未来を見る動的な反応が重要ではないか。
その前提として相手を信じることが大事である。なぜ自己愛かと言うと自分の喜怒哀楽をよく理解していることが大事である。相手と自分、もっと言えば地球の上にいる二人、更に言えば地球は天体の中にある星にすぎないという宇宙観を理解すれば相手がどうのこうのというエゴを抑えることができて(共通善)、真に分かり合えるのではと思いました。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
ここのグループも人と人とのコミュニケーションを成功させるためには自分を大事にし、相手も尊重しておもんぱかるという点では、他のグループと同じような議論であったかと思われます。私は、後で自分なりにテーマを考え直したときに、国際社会での日本人という観点からの対話がなかったように思います。この軸は絶対必要だと思いました。そういう観点で見直してみて、このグループの壮大な地球、宇宙観はすばらしいと思いますが、対話の記録には宇宙の宇の字も出てきていないので、これは発表者の日頃の思いが言わせた言葉ではないかと感じました。
発表者の石橋さんより以下のようなメッセージを頂きました:
いつも詳細な記事に感服いたします。Eチームの「このグループの壮大な地球、宇宙観はすばらしいと思いますが、対話の記録には宇宙の宇の字も出てきていないので、これは発表者の日頃の思いが言わせた言葉ではないかと感じました。 」というご指摘ありがとうございます。

ペーパーの「ONENESS」の下にある円が宇宙観に関するダイアローグの部分です。右側に描いてある人間2人のイラストから、地球→星々→宇宙と話が発展しました。

自己愛の話題で、「自分」を感じとり自己を認識することが他者の存在を認める...ことになるという話から、自己と他者(相手)という関係性に加えて、さらにそれらを包括する場(地球→星々→宇宙)の認識が大切なのではないか。そのことによって、その認識がお互いを共通のものとして認め合い、相互理解につながるのでは。そのような能力が私たちに必要では?生命観や宇宙観を理解することが大事では?といったような流れで話が進みました。

たしかにご指摘いただいた通り、私の日頃の思いも含まれています。記録の不十分さとファシリテーション役に徹することができなかった部分を反省し、今後に努めたいと思います。ありがとうございます。
EチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

ワールドカフェに回を重ねて参加してきて思うことは、ワールドカフェが色々な意見を自由に言い易い場であって、まずはそれらの意見を受け入れて、更にその場が移動することによりまた別の意見とめぐり合って刺激を受けていくうちに、自分の意見も変容してゆく過程が短時間の間に経験できるすばらしい場であるということです。そして、最初から気になっていたことに最近気づいてきたのですが、このブレーンストーミングのようなあまりまとまっていない多くの意見を編集して発表することが、いかに重要な編集の訓練につながっているかということです。ですから、いつも同じ方がまとめ役になるのではなく、より多くの方がこの経験をされることがその人の財産になると確信しています。一方、自分のグループの対話を発表者がどのように編集するのかを聞いているのも楽しみ方の一つであると思います。
今回、特徴的だと思ったのは今までとは違い他花受粉が同種の花粉が交じり合ったという感じで、よく言えば話し合いが深まったと言えますし、悪く言えば、刺激が少なかったとも言えます。自分の考えたようなことがどのチームでも話されていて、それがこのテーマ及び、日本人の考え方を象徴しているのかも知れません。
Visionary Institute 2010 World Cafeもあと2回となってしまうのがさびしいのですが、次回は的川泰宣先生の飛翔のイノベーション(未来を開発する宇宙探索)。そして12月には佐治晴夫先生の創生のイノベーション(未来に継承するリベラルアーツ)が行われます。
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2010年10月20日水曜日

Visionary Institute 2010 Seminar 第7回 高間邦夫氏「人財のイノベーション 未来を開発する組織」 サマリー


Visionary Institute 2010 Seminar 10月18日 「人財のイノベーション 未来を学習する組織」と題してお話された高間邦夫氏のお話を聞きました。氏のお話はこのシリーズの全9回の第7回にあたり、4月から参加してきた私にとってはシリーズの終わりが見えてきたという感じです。
高間氏の会社は人材開発または組織開発コンサルタントを仕事としているものですが、学問としての人材開発ではなく、企業を生き生きとさせるという実務としの人材開発に取り組まれております。それだけではなく、実際に企業の業績が上がったりしないと認めてもらえないわけです。
最近の人財開発の流れは以下のようになっております。
・方法論の改善ではなく、組織に働く人の思想や文化を変えてゆくものです
・金銭的な報酬や勤務時間などの就労条件の改善といったベネフィットやコストの改善ではなく、働く人の心を変えてゆくことと捉えています
・座学からますます参加型に変化してきています。それも小グループでの対話を通じてお互いを理解しチームワークを育むというのが主流となりつつあるようです。
最初のお話は、米国の労働者と日本の労働者の幸福度を比較して、米国では長く勤めているほど幸福度が高まっていきますが、日本人では何年勤めても幸福度は低いまま一定であるという大阪大学のグループの調査結果を報告されました。これが問題ではないか?
働き甲斐を感じられない日本人の組織に対してどうしたらよいかを以下の観点からとりあげております。
①人々の視座を変える
ピーター・ドラッガーが「イノベーションとは新たな次元の創造だ」といっています。
従来は物事を直線的な思考で考えていたが、現在は複雑にからまっているので「システム思考」が必要になってくるわけです。このシステムには目的志向が必要になるわけですが、その際には視点を変えることが重要である。
②人々の認知の枠組みを再構成する
ケネス・J. ガーゲン「あなたへの社会構成主義」を読んでいただければいいと思います。
最近の研修では講師が座学で教えるのではなく、お互いの経験や知識などを話し合って高めあうということが行われています。
③オープンな話し合いの行い方
オープンな対話の作り方は思考の質を高めることが狙いです。そのためにはオープンに話しあうことです。
④ダイアログとはタバコ部屋の会話に似ている(上下の関係が存在しない空間)。
⑤アダム・カヘンは生成的ダイアログと儀礼的会話などを活用させて頂いております。
⑥オープ・スペース・テクノロジー(ミーティング)
人々の価値を共有し、ビジョンを生み出す
⑦AI ( Applicative inquiry )とは問いや探求により個人の価値や強みをみつける
⑧目標と現実のギャップをうめるという発想よりは、望ましい方向を模索することのほうがより前向きである
・推薦書籍のご紹介


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2010年10月9日土曜日

Visionary Institute 2010 World Cafe 第7回 「編集から読み解く知識創造/価値創造」 参加報告


全10回のvisionary Institute 2010 World Cafeも気がつけば、あと3回を残すだけとなってきました。しかし、Cafe的な対話には、毎回新鮮な感動があります。今回は、松岡正剛氏の”言葉のイノベーション”というセミナーを受けて、言語のイノベーションということで、”母なるもの”とは、”父なるもの”とはなにかについて、対話を行いました。
毎回のことではあるのですが、ファシリテータの薄羽さんの出されるテーマには驚かされます。
つまり、松岡正剛氏の”言葉のイノベーション”を受けての対話なので、”言葉が未来をどのように変えてゆくのか”というテーマで対話をするのかなと考えて今日を迎えたのですが、薄羽さんの発想では、”父なるもの”、”母なるもの”がどんなものであるかについて対話しなさいということで驚かされました。
でも、松岡正剛氏のセミナーを思い出してみれば、言葉がどのようにしてできて来たのか、そしてその言葉がどのようにして文字として現れてきたのか、から始まり、その後の発展から現代へとつながってゆくわけですが、そこで、母が生まれてきた子供に”動作”を通じて”言葉”というコミュニケーションをつたえてゆく、この”動作”と”言葉”が抜き型であるというお話をされました。言葉は、母語、母国語、昔の神は皆、女神であった。その後、社会を型にはめてゆくようになり、男社会、男の神が現れてきた。
じゃあ、”母なるものとは”、”父なるものとは”、これからどんな役割を果たして行くのかを、過去、現在を見通して対話しなさいとなるとまでは、予測できませんでした。
また、グループの発表者として、今日のグループの対話をこのようにしようと考えていたところ、対話の結論をそのまま表現するのではなく、イノベーションを感じさせる言葉で表現しなさいということで、二度驚かされました。
まだまだ、私の考えの底の浅さに気づかされました。毎度のことですが.......。
では、以下が各グループの対話の記録となります。
Aチーム
母なるものとは”見返りを求めないもの”である。
父なるものとは”資本主義”である。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
このチームは書記がいなかったようだ。それぞれの人が、自分の意見を説明しながら書き留めたようで、話し合い自体は盛り上がったのかもしれないが、テーブルクロスはまとまりがないように見えます。ですから、結論に至る過程が見えません。


AチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Bチーム
母なるものとは”大地の母”である。
父なるものとは”偉大な父”である。
一番重要なのは”補い合う”ということです。補い合ってはじめて、明るい未来がある。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
私はこのグループでまとめ役をしたので客観的には言えませんが、流れを振り返ると、最初はやさしい、厳しい、右、左のように母、父を対比して話し合っていましたが、他グループの方が交わると、補い合うやノートとクレヨンなど片方だけでは成り立たないが、両方があってはじめて望ましい未来が生まれてくるという視点が加わり、最初のメンバーが戻ってくると、それに共感するようになりました。
BチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Cチーム
母なるものとは”積分”である。
父なるものとは”微分”である。
つまり、母なるものとは”形を作るもの”。父なるものとは”変化を生み出すもの”。
こちらのチームでは、他のグループのように父なるものと母なるものが補い合うというのではなく、母なるものが、歴史を作ってきて、父なるものは付け足しである。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
こちらもAチーム同様、書記の方が数人いて、そこで出た話題が結びついてゆかず、そのうちの一つにメンバーの多くが賛成され、グループの意見となったように見えます。
CチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Dチーム
母なるものとは”相手に合わせて形を変えることのできる器”である。
父なるものとは”明確に枠組みを作ってくれる器”である。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
こちらのチームは書記の人が全体とまとめて言ったように見えます。私たちのグループ(Bグループ)同様、父、母を対比して意見が述べられているようです。いつの時点でともに必要という意見が出てきたかは見当がつきませんが、イラストが効果的に使われているという点で、取り入れたいと思いました。
DチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

Eチーム
母なるものとは”包み込み、そして、それに力と栄養を与えるもの”である。
父なるものとは”種”である。
ただ、どちらかひとつではなく両方存在しなければ大きく育ってゆかない。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
こちらは書記の方がしっかりされているようです。一目で全体の流れが見えるようですばらしいと思います。キーワードがうまい配置で書かれているのも良いと思います。結論も、この流れでは妥当だと思います。

EチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?


Fチーム
母なるものとは”動物性”である。
父なるものとは”人間性”である。
これは、区別されるものではなく、動物性と人間性は入れ子構造になっている。母は自由だったりナチュラルだったりしてプラスの言葉。父は秩序、命令など否定的な言葉が出てくるが、なぜ父が必要かというと母が動物としてそだて、父が社会規範を教えるということではないか。これは、教育のプロセスではないかなと思います。
第3者から完成したテーブルクロスを見た感想:
よーく見ないと分からないが、右下に小さくかかれているのが、母は動物性で、父が人間性である。それ以外の全体からはこの結論にはたどり着かない。果たして、グループ全員の総意であろうかと思わせるようなものであるが、最後はこの結論だとするとどの発言からそこに向かったかを知りたい。

FチームのテーブルクロスをMAPにまとめると、こんな具合?

10月9日追記
各グループの意見としては、ほぼ”母なるもの”と”父なるものは”、補い合うものであるということになりました。
また、1つのグループでは、が”母なるもの”でが”父なるもの”という結論でした。
最近、自分に不満を感じているのは、補い合うのは良いのだけれども、競い合う(高めあう)という観点が自分に不足しているように思っています。自分の本来持っているものは平均的な生き方ではなく、競い合うはずではなかったのかという反省にたち、気持ちの中では競い合うようにしています。
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2010年10月5日火曜日

「ワールド・カフェをやろう!」香取一昭 大川恒著 日本経済新聞出版社 を読んで

Visionary Institute 2010 World Cafeのシリーズに参加して、ワールド・カフェには興味を持っていましたので、私が最初に読んだ「ワールド・カフェ カフェ的会話が未来を創る アニータ・ブラウン&デイビッド・アイザックス著 株式会社ヒューマンバリュー」とは違う日本人の書いた本はないかと探して、この本を見つけました。

主な内容としては

・ワールド・カフェ独特のリラックスした雰囲気の中で生まれてくる発見について
・ワールド・カフェの進め方、準備の仕方、終わったあとのまとめ方
・ワールド・カフェの日本での事例
・ワールド・カフェが拓く新たな可能性

などでした。
すでにVisionary Institute 2010というシリーズで何度も繰り返しワールド・カフェを体験したものとしては物足りない紹介本でした。というのは、方法論が中心でやってみてのノウハウがとして書かれている部分が当然といえば当然のお話でした。

特にがっかりしたのが、ワールド・カフェの様々な事例として10例ほどありましたが、すべて上っ面の説明でした。これはその成果はそれぞれの団体の大切な内容ですから、そこには言及していませんでした。つまり、このようなテーマで話し合われてどのような結論になったかをテーブルクロスを見えるような形で提示することが、より具体的になるほどと思わせるのですが、それは企業秘密の部分があり、出せないのは分かっているので、このような紹介は不要だと感じました。

それよりは、著者は実際にワールド・カフェを教えたりしているわけですから、そこでの成果は自分達の例なので、そのようなものをもっと分析して、その成果を提示するほうが、より説得力があり、役に立つものではないかと思います。

この本で重要なのは第6章のワールド・カフェを成功するための留意点でしょう。
1つは、ワールドカフェの良い点は限られた時間の中で、皆が自由に対話(ダイアログ)することですが、自分の考えを一方的に押し付けようとしたり、どちらが正しいかを議論したりしてはいけないわけです。このダイアログについては著者の出された本が紹介されておりましたが、私は「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」デヴィッド・ボーム著 英治出版刊の本がお推めです。
2つ目は、ワールド・カフェにはテーマがあるわけですから、もし、一般のワールド・カフェに参加する場合は、とりあえずどんなものかではなく、関心を持って、しかも、自分なりの考えを持って参加すべきです。ふらっと参加して有意義だったというのは、稀だと思います。
3つ目は、会議でもワールド・カフェでもそうですが、やりっぱなしではいけません。振り返りが大事です。私はこのVisionary Institute 2010 World Cafeの参加を通じて、そこで毎回学んできたこと、疑問に思ったことを忘れずに、更に進化させてゆくことこそ、重要であると考えておりますが、この本でも「過去に経験をしたことのない新しい出来事や考え方に接すると、ただちにそれを受け入れることが出来ません。最初は無視しようとするのですが、やはり気になってきて、それと向き合おうとすると、強い違和感が生じ、頭の中に混乱を生じます。しかし、そうした混乱は、新しいアイデアを生み出すエネルギーの源泉になります」と書かれています。

Visionary Institute 2010 Seminar/World Cafeは、その成果を書籍にまとめると、これを企画、運営された薄羽美江さんが言われていたので、それが出来るのを楽しみにしております。

・書籍のご紹介

2010年10月2日土曜日

Visionary Institute - 2010 Seminar 第6回 松岡正剛氏「言語のイノベーション 未来が出現する編集技法」セミナー参加

アカデミーヒルズ ライブラリートーク「Visionary Institute - 2010 Seminar」 第6回の講師は松岡正剛氏でした。
事前に松岡氏の書かれた書籍を3冊ほど読んでいて、知の編集という事について興味を持っておりました。お話は言語のイノベーション(Change)というテーマで言語はその生い立ちから話さないと現在、そして未来につながらないという事で、その様な流れでお話しをされました。Visionary Institute 2010はMC Planningの薄羽美江さんの企画で行われているのですが、松岡氏なりにこの企画を汲んでお話をされたのではないかと思いました。

本日のお話の方向としては言葉は自然界、身体とは無縁ではない、つまり言語は誰でも喋れますから簡単だろうと思いがちですが、歴史的には様々な制約にaffordance(環境が与えるものが人間の知覚、行動に影響を与える)されるという観点からお話されました。つまり、人が机の上にあるコップを取ろうとしたときに、手がコップに近づくにつれて手の形をコップを持つ形にかえてゆく(afford)。言語もこれと同じなのです。

赤ちゃんは何かをきっかけにして母親から最初に言葉を教わるわけですが、1語から2語、そして文章となり、「やがて文脈が変わってきたり、組み立てが変わってゆきます。言葉ってとっても不思議ですね」。

これらのお話の組み立ては、松岡氏が1日1冊づつ書評をWeb上に書き連ねていった「千夜千冊」を引用するスタイルで行われました。最初に紹介された本はアンドレ・ルロワ=グーラン「身ぶりと言葉」。松岡氏によると人生を変えるような本で是非読んで欲しいと言われました。身ぶり言葉は抜き方(鍵と鍵穴)である。つまり、言葉をはじめて覚えるのは、母の声と自分の動作を抜き型にしておこなうのであるということです。

ヨン=ロアル・ビヨルクヴォル「内なるミューズ」では、母なるものとは何か?なぜ、言語にマザーがあるのか?などについて述べています。全ての社会は母なる社会だった。やがて父系があらわれて母系性を換骨奪胎(組み立てなおす)して、父系社会を作り出した。男性原理は、財産権、社会の指導権、軍備権言語などを備えていって、現在のような社会を造っていった。しかし、言語には母的なものを残している。それが内にあるミューズ(知の女神)によるものである。言語を本気で考えるには、内なるミューズにまで遡らなければならない。

宮城谷昌光「沈黙の王」では、殷や周の時代に生きた武丁を扱っています。沈黙の王と呼ばれる武丁は喋れなかった。しかし、いろいろな人の声を聞くうちに、話が映像のように浮かんできていた。彼が、霊能力者に会ったときに、霊能力者がそのイメージを書いてみせたのが文字の始まり(甲骨文字)と言われています。

白川静「漢字の世界」では、言葉とは言霊(ことだま)を入れる容器にふたをしている様子を表していて、取り出しにくいものである。語ると言うのは、言霊の容器に縄をして取れないようにしている。つまり、本来言葉とはみだりに話すと針で口が刺されると言うぐらいのものである。そして、白川さんは言霊が文字の形になっていると言うことを明かしました。松岡正剛さんはこの本に衝撃を受けたそうです。松岡さんはニューヨークでナム・ジュン・パイクに会ったときに、彼は白川さんの書をほめて、「日本人は全部白川さんの本を読まないとだめね」と言われたのがきっかけで松岡さんは、「遊」という雑誌をはじめられたそうです。後に分かったのですが白川さんは「遊」という字が一番好きだったようです。「遊」というのは旗を掲げて、旗に犠牲を掲げて未知の場所へでかけてゆくという意味であるとの解釈です。このように文字とはリスクがあり、犠牲を伴うものであると説いておられます。

大室幹雄「正名と狂言」では、東洋的な物の中に出来上がってきた言葉は、言葉を正しくするという方向と、言葉を狂わせるという方向が出てきたそうです。正名とは孔子のことで、狂言とは荘子のことです。名を正しくするとは芸術、資本、企業というものは正しくしなさい、つまり、法令順守という考え方で、狂言では物事にとらわれずにもっと自由に言葉を使いなさいという考えの2つの方向に分かれてゆきました。東洋はこの両方を持ちながらいったのですが、ギリシャ、ローマ、ヨーロッパでは狂言は異端であるという扱いだったそうで、異端を排したユダヤ教、キリスト教という社会が確立されてゆきました。

立川武蔵「空の思想史」では東洋では「空」、「無」という考えができてきたそうですが、ヨーロッパではこのような考えができなかったそうです。中国、日本、韓国などでは「空」とは、無ではなく、そのことをいったん無しにできるという思想があるということであるわけです。

「空」や「無」という考えを持てなかったヨーロッパでは旧約聖書の中の「ヨブ記」では神は絶対的なものであり、何をおっしゃっても、従う、また疑うものでないと言っています。松岡氏は旧約聖書の中で「ヨブ記」が一番好きだそうです。

また、松岡氏はこの本もどうしても読んで欲しいと言われていたルネ・ジラール「世の初めから隠されていること」を読めば、何をヨーロッパでは隠したのかが分かります。犠牲になったものの名前を隠す、暴力をほどこした被害者と加害者のことを隠したということです。以上が言葉というものが軽々しく口に出すものではないという事であり、おぞましいことが隠されていたことを明らかにしています。このような事が古代に起きてしまったので、そこから掘り起こさないと今日の21世紀の言葉のイノベーションなどないと言っておられます。旧約聖書にレベッカという話があります。レベッカは死んだ後に後妻を呪って長子相続の習慣に従わず、自分の嫁いだ次男を長男に見せかけて家を継がしてしまった。このことを松岡氏はレベッカの資本主義と呼んでいるそうです。われわれ日本人もこのことが分からない限り資本主義はダメだと思っているそうです。

以上が、言葉と言うものが簡単なものでないということを紹介されました。

言語と言うものをイノベーティブに考えるのは言語の詰まった物語である。発端があって、行き違いがあり、どんでん返しがあり、ハッピーエンドになるというパターンである。ジョセフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」は、全ての物語が同じシナリオで作られていることを明らかにしました。簡単に言うとSeparation、initiation、return。ジョージルーカスはこれに習ってスターウォーズを作りました。つまり、この形ができたため言語は物語になりました。

リュシアン・フェーヴル&アンリ=ジャン・マルタン「書物の出現」では、書物がどうして出来たかと言うと幾つか理由はあるのですが、今日は1つだけダブルページについてお話します。このダブルページと言うフォーマットを発見したことはものすごく大事なことである。人間が目で追って理解するための知の意味のフォーマットとしては抜群の乗り物だった。

ブレーズ・パスカル「パンセ」上下は物語と同じように重要なエッセイである。松岡氏の父親が死に近づいてゆくほど、子供の言葉に帰って行った(年齢退行)のがどうしてなのかを知りたくて、あるときに「細胞から大宇宙へ メッセージはバッハ」という医者の本を読んで、このルイス・トマスならば自分の父親のこの状況を説明してくれるだろうと思って米国に行って話を聞きました。松岡氏がお父さんの状況を説明したら、ルイス・トマスは私なりにその状況を仮設しますと言って、最初に松岡氏に聞かれたのが「松岡さんは一人の生命ですか?」でした。お父さんが一個の生命ではなく体の中にたくさんの言語生命(シャーマニックなもの)がいて、それが高熱や何かが原因で染み出してくるのは当然で、色々な言葉をしゃべり始めたのだと説明されたそうです。私たちはそれを封印して生きている、父なる社会を作ってとりあえずうまくいっている。しかし、犯罪は起きる。そういったものを制度の中に入れて隠してゆく。それが今日の資本主義社会である。そういったことをステファヌ・マラルメは「骰子一擲」の中で「書物は誰もが振るサイコロの一振りである。誰もがサイコロの一振りによって書物を書くべきである」といっている。サイコロは六面でしかないが、たくさんの生命がうごめいていて、パッと離れてパッとくっついてそういうものが書物になっているという本です。

だいぶ近代まで来て、このまま現代へといきたいのですが、ちょっと考えたいことがあります。
言葉と言うのは全部生きているとは限らない。英語(殺人言語と言われている)が広まってゆくせいだけではなく、身振りと言語が離れていってしまい、最後の人がその言葉を話さなくなると誰も喋らなくなる。そういうことを書いたのが、斎部広成「古語拾遺」です。

平田澄子・新川雅明「小倉百人一首 みやびとあそび」は今、社会から失われて、なくなってゆくものを残そうとしているわけです。「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」というような有名な三夕がなにを言おうとしたかというすばらしい事を忘れないようにしようと藤原定家はしたわけです。決して知識をひけらかすためではなく失われつつあることに非常に危機感迫るものであったのです。

その後、松岡氏は「編集学校」をはじめたわけですが、そこで何を伝えたかったかと言うとヨーロッパ的メソッドが失ったもの、日本的メソッドの失ったもの、あるいは日本的メソッドに潜んでいるものを、伝えようと思うようになったわけです。そして、「見わたせば花も紅葉もなかりけり…」というようなお題を出すようにました。そういうことをすると新しくコンセプトが作れるそうです。

日本の歌人で5人をあげるとすると必ずあげるのが心敬です。心敬は「ささめごと・ひとりごと」を書いたわけですが、今日はその中身ではなく、心敬はそこにはないもの、あるいは想像力がそこに加わらないと存在しない実在性を発見しました。それは今では冷え寂びといわれています。

フランス人に言われてジャパンクールといっているが、ジャパンクールと言ってしまうとその中に潜んでいるものが失われてします。例えば江戸時代に作られたコンセプト、”通”、”意気”、”勇み”のようなコンセプトがつくられて、いまだに残っているが、そういうのもの作られなくなった日本人がフランス人にいわれてジャパンクールなんて言ってはいけない。ほんとうにやるには冷え寂まで行かなければならない。

当時、外国語にとらわれることを漢意(からごころ)にはまった日本人がなんとか昔のほうに向かっていくことを説いたたのが、古意(いにしえごころ)というものです。吉川幸次郎「仁斎・徂徠・宣長」は古意を取り戻そうとしたのです。

こうなると言語だけ変えたのでは駄目で物語の構造そのものも変えなければならないので、それを徹底的にしたのが上田秋成の「雨月物語」で、これは中国の「白話」という物語のフォーマットを使って全部日本に読み直してしまいました。

そうなってくると型、フォーマットが重要になってきます。正岡子規の「墨汁一滴」は日本で一番古典的な型で一番シンプルなものと、そこに全ての西洋的な情報が入ってもいいようにしました。短歌と言う言葉を作ったのが正岡子規や与謝野鉄幹でした。それまでは和歌でした。

北原白秋「北原白秋集」のようにありとあらゆるものをフュージョンして子供心と南蛮とヨーロッパの美意識などを組み立ててゆくわけです。

そこで、いよいよ日本語とは何か、言葉とは何か、イノベーションができたのかどうかをもう一度考える日がやってきます。

上田三四二「短歌一生」は松岡氏が色々な人に薦めてきた話ですが、言葉と言うのはバラスト(船が沈まないために重石を船底に入れておく積荷)が必要だ(使わない言葉を持っている)というのです。それがあなたの表現力を高めるということを言っている。これを聞いたときに松岡氏はショックを受けたそうです。短歌とは、短い言葉だが膨大なバラストがある。

一方、ヨーロッパではアンドレ・ブルトン「ナジャ」が言葉をCut and pasteして言葉を自由自在に使う。これは日本人は出来なかったことです。

J・G・バラード「時の声」はSFですが、全ての物語の中に全てのものを入れてゆく。

レイ・ブラッドベリ「華氏451度」では、ある未来の社会で、書物は勝手な知識を増やすので禁止しようとする話ですが、書物を燃やし続けていると(華氏451度とは書物が燃え始める温度)、書物を燃やす前に人々が知識を吸収していて、燃やそうとしていた消防士が負けてゆくというお話です。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜ひとりの旅人が」では一人が動くことが全世界が冬の旅人として動くということに達するような文学書。

フリードリヒ・キットラー「グラモフォン フィルム タイプライター」では近代社会が作ったメディアツールはなんだったかを見直し、そこから何が生まれたかをもう一度見直す必要がある。そのことが今のブログを作ってきた。だとしたら、もう一度道具を見直さなければならない。

テオドール・アドルノ「ミニモ・モラリア」は道具(携帯やiPhoneなど)とあなたの間で生まれている一番小さいモラルでモラルハザードの逆。つまり、すれ違いで生まれる倫理観を見直すひつようがある。そういうところから、
ローレンス・レッシグ「コモンズ」やダン・ギルモア「ブログ」が立ち上がってくるのではないか。

最後に今までの話を言語のイノベーションとして大きくまとめると、私たちは結局、「でたらめさ加減」と「秩序」の戦いの中にいると思います。でたらめさ加減のことをエントロピーといっています。1つめ、ピーター・W・アトキンス「エントロピーと秩序」ではカオスが拡大している状態をエントロピーが増大しているということで、これにいつも秩序が対抗しているわけです。これは言語が一旦考えたことです。しかし、そういうなかで、エントロピーと秩序が入れ替わり立ち代り言語のイノベーションの中に出入りしていたのです。2つめは、私たちは元々生命の塵でした。
クリスチャン・ド・デューブ「生命の塵」最初に私達がいかに偶然に生まれたかを説明しています。生命の塵としての私たちは自分とそうでないものは濃度の違いであるととらえないと生命は捕らえられない。ですから、そういう生命の塵としての私たちはたくさんの情報のものになっているはずである。

スーザン・ブラックモア「ミーム・マシーンとしての私」私たちの体を占めているのは遺伝子(gene)ですが、意伝子(meme)というものがあって、遺伝子と文化意伝子が入れ替わったりして、そういうものが私たちの体をミームマシンとしています。

ルードヴィッヒ・ビトゲンシュタイン「論理哲学論考」では、言葉を考えたり、表現を考えたりするには松岡氏の造語であるカタルトシメス(語ると示す)というものを持たないといけないのではないか。つまり、語ると、示すが同時にあってもいいのではないか。

モーリス・メルロ=ポンティ「知覚の現象学」では、全ては間身体性にあるということを言いました。松岡氏は間文脈性も大事でないかと言っています。

ダニエル・デネット「解明される意識」で、これは仮説で松岡氏は70%くらいしか賛成していないが、私たちはドラフトの束だと言っている。つまり、勝手に動き出したドラフトの束をもう少し見つめなければいけないのではないか。

最後はルドルフ・シュタイナー「遺された黒板絵」で締めくくられました。松岡氏は「いやー、もういいですね。シュタイナーの黒板絵」世の中が、このシュタイナーの書いた黒板の絵のようになコミュニケーションされていかなければならないと言うことでした。

今後は、松岡正剛氏の出されている本で度々登場する、人は本を読んで影響され、自分なりに消化し態度が変容してゆくというようなお話がどこかで聞ければ良いなと思っています。

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