2011年11月11日金曜日

VISIONARY INSTITUTE - 2010 World Cafe「今、私たちが語りついで行きたいこと-確かな未来創造へのワールド・カフェ」- ブログ目次




昨年アカデミーヒルズ 六本木ライブラリーで行われた「Visionary Institute - 2010 World Cafe」は「今、私達が学んでおかなければならないこと - 確かな未来創造へのマイルストーン」というセミナーシリーズで先生方のお話をお聞きした後、毎回、それぞれのテーマでWorld Cafeという対話方法を通じて意識改革(マインド・イノベーション)の創発を辿るという企画されたのは、株式会社エムシープランニング代表取締役の薄羽美江さんでした。私自身は、勿論World Cafeで自分自身の意識改革や参加者の意識改革を目にしたかったのですが、実際は偶然に第一回に参加する機会に恵まれました。このとき、World Cafeの手法に興味を持ちました。ここでは、その時々に感じたことを思い出してまとめてみました。後に、薄羽美江さんから直接メールにてお聞きしたところによると、この企画のきっかけは、薄羽美江さんがニューヨークに滞在していたときに、リーマンショックを経験されたことによるそうです。


そのようにして、この第1回のオリエンテーションに魅かれて、それ以降、欠かさずに参加するようになりました。


今更ながら気づいたのは、この薄羽美江さんの企画のすばらしさとそれに賛同された講師陣の方々です。用意周到に計画された講師陣の人選だけではなく、それらの方のお話される順番が全体の締めくくりまで流れるようにバトンタッチで行われ、「今、私達が学んでおかなくてはならないこと - 確かな未来創造へのマイルストーン」というテーマをWorld Cafeというスタイルで対話することを通じてお互いに学びあうことが体験できました。


私のこの企画への意識はこうして第1回から強烈な印象として残りました。第3回に参加して、この感動を伝えたくて、いてもたってもいられなくなり、第3回に参加した時のまとめをブログで行いました。また、私の考えを自分ひとりに留めておくのでは折角の学びも独りよがりになってしまうので、その思いをファシリテーターの薄羽美江さんにメールしました。他にも同じような感動を感じていた人たちがいて、その人たちともメールを交換致しました。


今回の講師陣の方々のお話で思わず感動したのは、何と言っても的川教授の「はやぶさ」のお話でした。本やテレビで見るよりは、じかにお話を聞くことがはるかに感動的でした。また、知的な刺激を受けたという点ではなんと言っても松岡正剛氏の「言語のイノベーション」というお話でした。お話を聞いた後にすぐにヒルズ近くの青山ブックストアで3冊の本を買ってしまいました。「知の編集術」、「知の編集工学」、「多読術」です。このVisionary Institute 2010のWorld CafeそしてSeminarに参加したことが、ここ数年での最大の学びとなりました。このようなチャンスを与えて頂いたファシリテータの薄羽美江さんに感謝いたします。


一連のワールド・カフェが2011年1月で完結したように見えたころ、2011年3月11日、東日本大震災が起きました。平時の際の心のありかと震災を経験した後では、当然、頭の隅になかった想定外という事態が現実のものになっていましたから、当然、同じテーマでワールド・カフェをしても今までとは異なる心の変容が起きうるということで、緊急セミナーが2011年7月に開催されました。このあたりも興味を持ってその足跡を振り返りたいと思い、この索引ページを作成いたしました。


また、ギリシャ一国の債務超過により国債の価格が下がって、ギリシャ国債を保有する国や大手銀行の含み損がかさむなどのことにより、ユーロ圏全体の金融不安、しいては世界中に飛び火するという事態に陥っております。このように、アメリカの住宅債券の下落に端を発してのリーマンショックなど、予想も出来ないことに世界中に悪い影響が同時に発生するという事態に、私達はどのように備えたらよいのでしょうか?


折りしも、世界的な起業家であり、革新的な発明を現実のものとすることで知られたスティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Job, 1955年2月24日生まれ)が2011年10月5日に病により56歳でこの世を去りました。これだけの業績を残した方ですから、すでに、その生涯を映画化するという話も出ているようです。わたしも、プログラマーだった経験から、以前からスティーブン・ジョブスについて書かれた書籍を何冊も読んでおりました。それらの中で多く言われていたのが、ジョブズはダビンチのように芸術と技術を融合させて成果を収めたとありました。それを「リベラル・アーツ」と表現するのでしょうか。PCの世界はWindowsとMacあとはLinux系ですが、Windowsを作り上げたビル・ゲイツがジョブズと同い年だったのは偶然ではないのでしょうね。ちなみにビル・ゲイツは1955年10月28日生まれです。


さて、ワールド・カフェの話に戻ると、このワールド・カフェは連続した対話の場を提供してきましたので、参加される方のなかでの交流も生まれました。その雰囲気を少しでも感じていただければと思い、以下の2つの例を、掲載させて頂きました。


1つ目は、このシリーズの行き先は「リベラルアーツ」へと向かうのですが、それには音楽が不可欠です。この曲は、薄羽美江さんからライブラリーメンバーの片山由里子さんへの「宇宙的サウンドのVisionary Instituteの音楽」を作ってほしい、とのリクエストに答えて、片山由里子さんが作られました。


2つ目は、学校の先生をされているライブラリーメンバーの清水久美子さんが、少し早いクリスマスプレゼントと言うことで、第9回のWorld Cafeの時に、トゥインクル、つまり2つの星の形に焼いたクッキーを2つずつラッピングして参加者の方々のために持ってきてくださいました。




Visionary Institute - 2010 World Cafe第1回“ワールド・カフェ”を体験しましょう!
World Cafe第1回の推薦図書は以下のものでした。


「ワールド・カフェ - カフェ的会話が未来を創る」アニータ・ブラウン、ディビッド・アイザックス著 ヒューマンバリュー出版刊


「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」デヴィッド・ボーム著 英治出版刊


「出現する未来」P.センゲ、O.シャーマー、J.ジャウォースキー、野中郁次郎、高遠裕子著 講談社刊


World Cafe第1回の推薦図書を読んでの感想文はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第1回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「今、私たちが学ばなければならないこと」。



Visionary Institute - 2010 World Cafe第2回「~ひもとく・よみとく・まじわる・かたらう~」
Visionary Institute - 2010 Seminar第1回 「美徳のイノベーション 未来を経営する作法」講師:野中郁次郎氏のSeminarを題材として


このときには、たまたま4月20日のSeminar第1回と4月28日のWorld Cafe第2回には参加出来ませんでした。
World Cafe第2回の推薦図書は以下のものでした。


「美徳の経営」野中郁次郎著 NTT出版刊


対話のテーマは、「経済行為とは?」。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第3回「未来を発見するデザインとは?」
Visionary Institute - 2010 Seminar第2回 「異文化のイノベーション 未来を発見するデザイン」 講師:グエナエル・ニコラ氏のSeminarを題材として
World Cafe第3回の推薦図書は以下のものでした。


「日経アーキテクチャ」2010年5月号、「Designers' vol 2」


Visionary Institute - 2010 World Cafe第3回の参加事前予習の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第3回の参加事前予習 再考の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第3回の参加事前予習 再々考の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


マインドマップとアイデアマップの違いについての考察はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第3回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「私達にとって発見したい未来とは」。



Visionary Institute - 2010 World Cafe第4回「未来を予見するアートとは?」
Visionary Institute - 2010 Seminar第3回 「意識のイノベーション 未来を予測するアート」 講師:伊藤俊治氏のSeminarを題材として
World Cafe第4回の推薦図書は以下のものでした。


「電子美術論」、伊藤俊治著、NTT出版、1999年3月


World Cafe第4回の推薦図書を読んでの感想文はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 Seminar第3回の伊藤俊治氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください


Visionary Institute - 2010 World Cafe第4回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「私達にとってよりよい変容とは何だと考えますか?何が必要だと感じますか?」。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第5回「今、日本人が見失ってはならないこと」
Visionary Institute - 2010 Seminar第4回 「未来をつくるイノベーションのための文化資本」 講師:福原義春氏のSeminarを題材として
World Cafe第5回の推薦図書は以下のものでした。


「だから人は本を読む」福原義春著、東洋経済新報社刊、2009年9月


Visionary Institute - 2010 Seminar第4回の福原義春氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第5回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「日本は変わった。変わるために努力したのだ」そのためには何が必要ですか?。


番外編:「玉川大学天体観測施設で真昼の星を見る」については、このブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第6回「21世紀のホスピタリティ経済」
Visionary Institute - 2010 Seminar第5回 「存在のイノベーション 未来を察知するホスピタリティ」 講師:山本哲士氏のSeminarを題材として
World Cafe第6回の推薦図書は以下のものでした。


「ホスピタリティ原論」山本哲士著、文化科学高等研究院刊、2008年4月


Visionary Institute - 2010 World Cafe第6回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「日本が世界に貢献できることは何ですか?そのためには何が必要だと考えますか?」。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第7回「編集から読みとく、知識創造/価値創造」
Visionary Institute - 2010 Seminar第6回 「言語のイノベーション 未来が出現する編集技法」 講師:松岡正剛氏のSeminarを題材として
World Cafe第7回の推薦図書は以下のものでした。


「千夜千冊」松岡正剛著、求龍堂刊、2006年10月


Visionary Institute - 2010 Seminar第6回の松岡正剛氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第7回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「母なるものとは?父なるものとは何ですか?」。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第8回「組織の変革と人財」
Visionary Institute - 2010 Seminar第7回 「人材のイノベーション 未来を学習する組織」 講師:高間邦男氏のSeminarを題材として
World Cafe第8回の推薦図書は以下のものでした。


「組織を変える『仕掛け』」高間邦男著、光文社新書刊、2008年9月


Visionary Institute - 2010 Seminar第7回の高間邦男氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第8回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「私たちにとって現在、未来に『大事な能力』とはどのようなことですか?そしてそれを身に付けるためには『何』が大切ですか?」。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第9回「未来を創造する力」
Visionary Institute - 2010 Seminar第8回 「飛翔のイノベーション 未来を開発する宇宙探索」 講師:的川泰宣氏のSeminarを題材として
World Cafe第9回の推薦図書は以下のものでした。


「宇宙からの伝言」的川泰宣著、数研出版刊、2004年12月


Visionary Institute - 2010 Seminar第8回の的川泰宣氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第9回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「現在・未来 私たちにとって『成功の法則』とはどのようなことですか?そして、それを実現するには『何』が大事ですか?」。

Visionary Institute - 2010 World Cafe第10回「私たちはどこから来てどこに行くのか」
Visionary Institute - 2010 Seminar第9回 「創成のイノベーション 未来に継承するリベラルアーツ」 講師:佐治晴夫氏のSeminarを題材として
World Cafe第10回の推薦図書は以下のものでした。


女性を宇宙は最初につくった」佐治晴夫著、春秋社刊、2009年3月


Visionary Institute - 2010 Seminar第9回の佐治晴夫氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute - 2010 World Cafe第10回の報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「2011年、私たちは何が必要であると考えますか?そのために私達が何をすれば、よいでしょうか」。

Visionary Institute World Cafe緊急セミナー「これまでの日本・これからの日本」
Visionary Institute緊急セミナー 「これまでの日本・これからの日本」 講師:佐治晴夫氏のSeminarを題材としております。


Visionary Institute緊急セミナーの佐治晴夫氏の講演の様子はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


Visionary Institute World Cafe緊急セミナーの報告はこのブログ内に書かせて頂いておりますのでここをクリックしてご覧ください。


対話のテーマは、「これまでの日本・これからの日本」。


私自身も東日本大震災という現実に直面し、書き続けたことを書き残しました。ここをクリックしてご覧ください。





アカデミーヒルズ六本木スクール Visionary Institute - 2010 Seminarの案内



アカデミーヒルズ六本木スクール ライブラリートーク Visionary Institute - 2010 World Cafeの案内





Visionary Institute 2010 WorldCafe 出版検討ミーティング Kick Off

薄羽さんがこの企画の当初から明言していた、このVisionary Instituteの成果を、書籍として出版するということですが、薄羽さんご自身、仕事に忙しく活動されているようで、いつ頃出るのかな?と思っていましたが、これから実際の作業を立ち上げるということで、kick offということで、まずは私達に声がかかりました。


その後、Visionary Instituteは2012、2013、2014と続いてゆきますが、東日本大震災(2011年(平成23年)3月11日(金))を経験した2012年以降は、セミナーの背景にこれらの人を勇気付けるメッセージが含まれていると思います。2010年の平和だが出口の見えない不況時のVisionaryから、2012年の外国から見た日本の良さの再認識や幸せを考えなおすVisionary、2013年の戦後復興、国際貢献からみた現代日本の遺伝子のVisionary、2014年の未来へのものづくりのVisionaryへと変容していったように思います。
2013年11月28日には待望の書籍が出版されました。タイトルは「賢者の本」です。

私のこのブログは私自身でAmazonに電子書籍化しました。

六本木ライブラリーはくつろいだ環境で学習できるスペースが用意され、蔵書が私の求めるものが多く、セミナーを待つ間、自己啓発の本などを読みましたが、それをノートに書き留めましたが、持ち歩くには不自由なので専用のブログにアップするという方法をとりました。ここをクリックするとご覧いただけます。

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2011年11月10日木曜日

「金子 みすゞ ふたたび」今野 勉 小学館文庫を読んで



こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

……

東日本大震災のとき、コマーシャルが自粛され、NHK以外の全ての局でACの製作したコマーシャルが何度も何度も流されていました。これがきっかけで金子みすゞの本を買ったわけではありません。

佐治晴夫先生が、講演会で度々その詩を引用されていたので興味があり、紀伊国屋で見かけたので買いました。
先生は宇宙科学者で宇宙を研究され、大学での講義もさることながら、一般の方やお子さんに分かりやすく講義や、今は鈴鹿の地元の新聞に連載をされております。

先生は金子みすゞの話をバチカンでパウロ二世に説明されたという話を講演でされておりました。

そのときに「星とたんぽぽ」という詩を紹介されました。この本ではその続きが書かれていました。

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

この詩は、先生が星は一日中見えているのだけれども、昼間は周りが明るすぎでみづらくなっている。身の回りでも、実際は見えていても見過ごすことがあるということを言われているのだと思います。そのことを、身をもって知るために昼間の天文台を作られました。

この本は、金子みすゞの詩集ではありません。金子みすゞの生い立ちに沿って、その時々に作られた作品を紹介しています。母、海と空の自然、そして子供などがテーマとなっているのは生い立ちと生まれ育った海の近くの環境などが影響されています。

読んでみて、子供のための童謡とはことなり、それぞれが奥が深く、生い立ちに重ねてみると、悲しい詩が多いという印象です。

この本の、最後は以下の詩でしめくくられておりました。



誰も知らない野の果で
青い小鳥が死にました
さむいさむいくれ方に

そのなきがらを埋めよとて
お空は雪を撒きました
ふかくふかく音もなく

人は知らねど人里の
家もおともにたちました
しろいしろい被衣着て

やがてほぼのぼあくる朝
空はみごとに晴れました
あをくあをくうつくしく

小さいきれいなたましひの
神様のお国へゆくみちを
ひろくひろくあけようと

金子 みすゞ記念館のホームページにも愛されている詩が載っております。
金子 みすゞの詩には港の風景や当時の町の様子が描かれております。仙崎という港町に行ってみたいと思いました。


・書籍のご紹介

2011年10月13日木曜日

玉川大学天体観測施設で真昼の星を見る

Visionary Institute 2010 - World Cafeにてファシリテータの薄羽美江さんより玉川大学の天体観測施設で星座案内のスタッフをされている潮木秀佳さんを紹介されました。この施設のお話を聞いてぜひ、昼の天体を見てみたいと連絡して2010年7月1日のお昼頃うかがいました。そこは、玉川学園駅をおりてすぐの玉川大学の校内の屋上にありました。潮木秀佳さんの案内によると、「町田市にある玉川大学に、佐治晴夫先生という方が1994年に設置してくださった小さな天文台で、口径25センチの望遠鏡を使って、青空の中に輝く星をご案内しています」とのことでした。

☆玉川大学天体観測施設☆

【公開曜日】毎週木曜日
【時間】9時から17時半まで
【住所】〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1
【電話】042-739-8658
【E-MAIL】 t.instit@adm.tamagawa.ac.jp
【URL】 http://www.tamagawa.ac.jp/research/k-16/observatory.html

現在、この施設は「玉川大学学術研究所 K-16一貫教育研究センター 天体観測施設」と呼ばれているようです。佐治晴夫先生は、玉川大学におられたときに、色々な試みをこの学校でされたようです。先生は一貫して「リベラルアーツ」の重要性を説かれていて、学校の一番高いところにある建物に学校に依頼してパイプオルガンを設置していただいたと、うかがっております。この天文施設も、昼に夜見える星座を見るということで貴重な体験になるということで設置をされたそうです。いつの頃からか分かりませんが、この学校には「リベラルアーツ学部」というユニークな学部を設置されております。なお、最近この天体観測施設のホームページを見たところ、「公開日時が10月より毎週月曜日(9時~17時30分)に変更になります」とありました。もし行かれる方は最新の情報をご覧になってお出かけください。


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2011年7月18日月曜日

Visionary Institute World Cafe 緊急セミナー 「これまでの日本・これからの日本」 参加報告

昨年の4月から9回に渡った株式会社エムシープランニング代表の薄羽美江さんの企画は「20世紀の忘れもの」から「21世紀の贈りもの」へと進化・深化させて、真の価創造に向かいたいという想いを実践する場を提供され、今年の1月7日で完結しました。

このようにWorld Cafeは完結して、薄羽さんは当初から言われていた、この成果を本にまとめるという作業を始めていたときに3月11日の災害が起きました。これだけの大きな災害を経験し、これからの日本に何が必要かというテーマへの思いがどのように変わるのかを確かめたいという思いからか緊急セミナーを企画され、7月11日に行われました。そのVISIONARY INSTITUTE 緊急セミナー ~佐治晴夫:これまでの日本・これからの日本~を受けて、このテーマで皆さんが対話されました。

各グループ発表の薄羽さんの記録


各グループ発表の薄羽さんの記録を図式化してみました


Aグループの発表
1.原発から学んだのは「情報の質」、「正しい情報を得る」です。
2.リーダー不在と言われていますが、自分を持っていれば絶対に乗り越えられる。「自信」を持ちましょう。
3.こういう時には「女性の時代」です。なでしこJapanが活躍しています。「なでしこJapanの希望」。

この時点で、なでしこJapanはベスト4まで進んでいました。3日後の18日早朝、アメリカとの決勝戦で同点、PK戦で日本が勝ち、初めての世界一になりました。これは、日本人に大きな勇気を与えてくれました。

Aグループのテーブルクロス


Aグループのテーブルクロスを図式化してみました


Bグループの発表
1.復興は現状維持ではなく、「飛躍」をしなければならない。
2.自立して自分の意見を言えるようにしよう。批判ではなく、自分の意見をもちたい。

Bグループのテーブルクロス


Bグループのテーブルクロスを図式化してみました


Cグループの発表
「情報のリテラシーが必要」
頑張ろう日本が心に響かない。
昔からの価値観で今回のことが起きてしまった。価値観を変えるチャンス。
仲間を大事にすることは、仲間以外を敵にする。
原発での自分の生命を守る「情報」が得られなかった。

Cグループのテーブルクロス


Cグループのテーブルクロスを図式化してみました


Dグループの発表
私たちは「個という自分自身」と「組織」との行き来をしたほうが良い
個人としても世界に発信し、組織としても世界に発信するには、その両方を行き来できる必要がある。

Dグループのテーブルクロス


Dグループのテーブルクロスを図式化してみました


本日の私の他花受粉の軌跡 ( Eグループから出発 )

1.Eグループでの対話
1.自然には想定外はない。自分自身のこれからに想定外の事があった時の備えを考えるきっかけになった。
2.自分が被災者でなかったが、人のために自分が出来る範囲で一生懸命すればよい。
3.大震災の日に情報難民になった。携帯、インターネットがつながりにくかった。
4.普段便利と思われていたものがなくなってみて、なくても問題ないことが分かった。無駄の多い社会だ。
5.人間も自然の一部なので、自然と共生してゆく道を大切にする。

2.Bグループでの対話(ラウンド1)
それぞれのグループでの対話を発表
1.このテーブルでの対話(震災のときに何をしていたのか)
1.1入院していたご主人をお見舞いに行っていて帰宅できず
1.2誕生日パーティの最中で、それぞれを大切にしなければと感じた
1.3鉄道会社では、事務部門も全員現場にでて、こういうときには燃えた
1.4超高層ビルで働いていて、無事で生きていて良かったと感じた
2.別のテーブルでは
2.1買占めが起きた(自分達の身近な人を守る母の行動ではないか)
2.2メディアが信用できなかった
3.別のテーブルでは
3.1想定外のことが起こったので、どうしたらよいのかという問題提起
3.2緊急時には国家レベル、県、市町村レベルでこういうことの対応を予め考えていなければならないのでは
4.別のテーブルでは
4.1何でも手に入る時代、このような事態で何が必要かを考えさせられた?いらないものが多い。
4.2正しい情報が手に入らないことがどれほど不安にさせられるかを痛感した
ここでの対話
持続可能な社会作りが大事で、自給自足のできる小さなコミュニティを大切にしたい
グローバルな社会では自ら生産しなくても海外から輸入すればよいが、そこで災害が起きたときのことも考えておく必要がある

3.グループでの対話(ラウンド2)
1.このテーブルで起きたこと
1.1個がそれぞれの発言ができるようになれば多様性が生まれる。その上で組織的な視点が必要。
1.2お母さんの買占めも個としての視点だったが、組織的な思考も必要ではないか
1.3個と組織を行き来するのが大事
ここでの対話
日本は戦後ロボットにされてしまった。自分で考えなくなってしまった。強いリーダーシップもない。
私たちは西洋と東洋の文化を持っているのは先進国は日本だけです。それが21世紀を支配できる。
どん底をバネに変えるチャンスである。「希望」と「夢」
理想を考え直さないといけないのではないか
環境との共存が大事

4.元のEグループに戻っての対話
悪いことをバネにして伸びる。そのときには「夢」と「希望」が大事
自分自身の足で立つことが大事だとあらためて思った。周りに踊らされずに、自分で意識できるようにする。
自分の五感で感じることが大事。

Eグループの発表
1.震災のときに停電になって情報難民になってしまった。
2.本当に必要なものが何なのかを考えるきっかけになった
3.自然との共生がひつようではないか?
4.戦前の日本は誇りを盛っていいような良いものがあった。もっと誇りを持ってよいのではないか?
日本人は東洋思想と西洋思想をバランスをとっている。「夢」と「希望」を持ちなさい。

このとき、まさに地震が起きて(茨城県南部最大震度4)、発表が一時中断。
六本木ヒルズ49階ではそれほど大きな揺れではありませんでしたが、すぐに館内アナウンスがありました。

Eグループのテーブルクロス


Eグループのテーブルクロスを図式化してみました


Fグループの発表
私たちに必要なのは価値観の転換がひつようではないか?
価値観の転換は1人では難しいので対話が必要ではないか

Fグループのテーブルクロス


Fグループのテーブルクロスを図式化してみました


今回のまとめ
1月に同じテーマで対話したときと明らかに違う視点がありました。1月の視点は、豊かになった日本人にハングリー精神が欠けていて、再び成長するためには意識の変革が必要ではないかというものでした。今回の視点は東日本大震災後の対話ということで、情報が多くのグループで話題になりました。「情報発信者は今何が必要かを理解し、正しい情報を発信すること。それを受け取る側は、多くの間違った情報から正しい情報を選別できる目を持つこと」でした。また、これから前に進むための心構えとして、「夢」、「希望」、「自信」がキーワードとなりました。全く同じテーマの前回と見比べてみるのも良いと思います。

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2011年7月13日水曜日

Visionary Institute 緊急セミナー 佐治晴夫氏「これまでの日本・これからの日本」リベラルアーツから創造する未来の価値 サマリー


今回、7月11日の六本木ヒルズでのご講演は、3月11日の東日本大震災から4ヶ月が過ぎたこの日に東日本大震災を振り返り、これからどのようにして行くべきかについて、宇宙と物理を専門とされ、音楽にも詳しい、まさにリベラルアーツを語るにふさわしい佐治晴夫先生がお話をされました。
まずは、自分が思っている自分と他人から見える自分とは異なっている。それ故、自分のこと(地球のこと)を知っていないということを知るのが非常に大切です。放射線の問題、原発の問題、宇宙の問題、地震の問題を分かっていない。そのことを知っていただくために今日のお話をされるということでした。
自分のことは自分では分からない。地球も地上からではその全体像が見えない。3年前にその使命を終えてつきに衝突して尽きた月探査衛星が月に落ちる前に撮った月から昇ってくる地球の姿が捉えられている。まずはこの映像をみて、なるほどと感じていただく。
1.地球を直径1mのボールに例えると
地球の周りの空気の厚さはたった1mmです。海の深さは0.5mm位です。その下に3mm程度の薄い皮が十数枚重なっていて、そのなかの地球の中の大部分はどろどろとした成分のものが対流しているのです。このような状況で断層が少しずれただけで今回のような大地震が発生するわけです。地震は避けようがないだから、今回震災にあわなかった人たちも、その場に居合わせた可能性はあったわけで、これからもそういう場面に自分は居合わせないという保障はないわけで、震災はわれわれ全体の事として考えなければならない
2.人類の創生
人類創世記はアフリカで大地震で地面が裂け砂漠ができて、そこにサルが残された。生き残るために4つ足では不自由なので立ち上がり、その結果として頭が大きくなり進化してきました。つまり、ここでは地震によって人が育ったわけです。このように、世の中のことは、プラスのこととマイナスのことが同じ量だけあってバランスをしているのです。
3.衛星の衝突
宇宙には無数の隕石が漂っていて、その1つが地球にぶつかっても地球にはダメージが生じるが、地球にぶつかったために今の4季のある地球がある。月が地球にぶつかったことにより地軸が23.6度傾き4季ができました。その月が地球にぶつかった後、地球の周りを回っていることにより月からの引力の力をうけ、この23.6を保っているのです。災い転じて福となすではないのすが、可能性の低い偶然が重なった結果と考えるのではなく、起こるべくしえ起こったとも考えられるわけです。この偶然がなかったら、地球は地軸が垂直で高速に回転するため、空気の層が嵐のように吹き荒れて、その大きな音により、今のような静寂の世界ではないので、音楽を楽しめなかった、つまり、音楽がなかったとも言えます。
4.地球とどう向かい合っていくのか
災害は忘れられたころにやってくる(寺田寅彦)と言っています。今回の津波は想定外でしたといっている人がいますが、今まで30mを越える津波が来たことは歴史が物語っています。地震が人類を作り、地震が人間を壊してゆく。50年に一度、夜が来る(新月)。そのときに人間は何をするか考えて見なさい。
以上は自然と人類がいかに密接にかかわっているのかを知ってほしいということです。
5.原発について
原子の世界は確率で動いていて、制御できない。ほかの世の中は熱力学の第2法則で動いているが、原子はこの原理に反しているので、制御するのは難しい。原子力がよいと言っている人たちは、地球の温暖化という一点から、他のエネルギーは温暖化を加速したり、コストがかかりすぎて実用にならないとかを根拠にしていて、安全性の根拠は使ったエネルギーの廃棄に多くの年月がかかり、その保管コストや保管中にエネルギーがもれるというリスクなどを隠したまま、安全だ、コストが安い、クリーンだなどと言っているのだ。何かを隠して守ろうとする人は、何かを壊す人になる。こういう人が核の爆発ボタンを押すのである。何かを守ろうとする人は、それを攻撃する人を攻撃するのです。これが人間の本質です。母親は自分の子供をかわいがって抱いているその手で、自分たちを攻撃しようとしている人たちをその手で殺すことをします。
つまり、考え方の出発点は、自分は被害者であり、加害者であるということを認識することから始めるのがたいせつである。
ここで、想定外ということはあり得ない。過去を調べれば、同じことが何度も起きていることが分かるということを的確に詩にしているのが、金子みすゞの「しけ玉」というものです。
夕燒のなかに、しけだまが赤いよ。
しけだまの下では、仔牛(べえこ)があそぶよ。
もういつからか、あがつたきりだよ。
誰も うはさも、しなくなつたよ。
夕燒のそらに、しけだまは赤いよ。
いつか來る、いつか來る時かを知らすよ。
また、太陽エネルギーは天候に左右されるから安定的なエネルギーではないと言っている人がいるが、晴れた場所で作られた電気を曇ったところに電気を供給する。そうすれば、太陽熱発電も安定している。自然エネルギーが不安定といっている人たちには知恵がない。
また、ここでも金子みすゞの「昼の月」の詩が言い当てているそうです。
しゃぼん玉みたいなお月さま
風吹きや、消えそなお月さま。
いまごろどっかのお国では、
砂漠をわたる旅びとが、
暗い、暗いといってましょ。
白いおひるのお月さま、
なぜなぜ行ってあげないの。
これと同じ事をやったらいいじゃないですか。晴れているところで作った電気を曇っているところにもってゆく。それくらいな事は、本気で考えればできますよ。
6.自然災害って
自然災害という言い方はおかしい。星の衝突はしょっちゅう起きていて、まれに起きることではない。
普段起きていることを災害というのはおかしい。
7.マニュアルは平常時には当てはまる
しかし、マニュアルは非常時には当てはまらない。非常時になったらマニュアルにこだわらずに状況をみて判断するのが結果的に正しい判断となる。マニュアルとおりでないことがよい事があるとの認識を持てば、マニュアルにしばられない判断、行動がとれる。
8.幸せって何?
自分ひとりの幸せはあり得ない。相手があっての幸せ。慈悲の慈とは望むこと(metta)、悲とはやはり望むこと(karuma)で相手があっての幸せを表している。自分にとっての幸せを考えてみる。
聖フランチェスコはその言葉の一節に
慰められるよりも慰めることを
理解される事よりも理解することを
愛されるよりも愛することを
私が求めますように
私達は与えるから受け
許すから許され
自分を捨てて死に
永遠の命にあずかるのですから
つまり、与えることで与えられるという考えが、復興のスタートとなるのではないか。人間の知恵は大きい。希望を持つことが大事です。希望には芸術が大きな力を発揮します。
というような講演をされました。
佐治先生は毎日新聞の三重県版に記事を書かれていますが、毎日新聞のホームページにも載っていますのでぜひご覧ください。検索キーワードは「佐治博士の不思議な世界」です。

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2011年4月8日金曜日

Visionary Institute 2010 WorldCafe 出版検討ミーティング Kick Off


2011年4月5日。招待された薄羽さんのオフィスのベランダにかぶさるようにして、もうじき盛りになる桜が部屋の明かりに照らされて、すばらしい雰囲気を醸しだしていました。桜の脇には竹が生えていてコントラストがすばらしい日でした。そんな、雰囲気の中、今年の1月までご一緒させて頂いた、すばらしい皆さんに再会できて楽しい時間をすごし、この時間が終わるのが惜しいという気持ちになった程でした。
清水先生は手作りで桜餅、桜の花の入った俵にぎり、よもぎの和菓子などを用意されました。あまりにもすばらしかったので、思わず携帯で写真を撮りました。その写真はその場の雰囲気を伝えるために加工してみました。そして、そこには、薄羽さんの用意された、新たな始まりにふさわしい北海道の開拓ビールの詰め合わせがあり、それらが振舞われました。
料理と会場の雰囲気作りはリサさんの手作りの料理と、そのすばらしい盛り付け、キャンドルの光、バックグラウンドミュージック、どれをとっても洗練されておりました。そして、多分暖かい赤ワインに何かすばらしい香りのするものが入ったものも、機会があればもう一度飲んでみたいと思いました。

20世紀の忘れ物を残したまま、21世紀に向けて何をすべきか、そのVisionを語るにふさわしい先生方をお迎えしてお話を聞き、それを対話を通じて新たなVisionを展開するVisionary Instituteに、当初はそのような深遠なテーマには気付かずに、参加者全員がそれぞれに対話に参加するという場の存在に自分の居場所を見つけて、自分なりのVisionが芽生えてきたのが今年の1月までのWorld Cafeでした。経済に始まり宇宙科学に終わるシリーズは完璧なシナリオでした。しかし、2011年3月11日に地震、津波そして、原発の事故が発生し、想定外の自然災害への危機管理という観点も必要ではないかというお話が皆さんの中から出てまいりました。
私も何か貢献しなければならないと考えたときに、自分の世代が経験してきたことを次の世代に伝えて、良い点は学んでもらい、よくない点はそのようにならないようにするという形の貢献ができるかと考えています。父親の世代は戦争を経験し、終戦後広島から横浜に出てきて、居を構え、生命保険会社に入り、会社とともに豊かになってゆき、働きづめでの56年の生涯に幕を閉じたのを見てきたものとして、私のように10社以上に時代の流れに乗って転職してきたものと比べてみると、昔のファミリーのような、ある意味窮屈な、ある意味、ダメの烙印を押されたら復活が難しいというような時代の良さ、悪さについての考えなどを伝えようと思います。そして社会が豊かになると物を製造してゆき、どんどん消費が伸びてゆく中で、楽をしてお金を儲ける金融商品に手を出して、そこからの利益が本業の製造よりも高い時期が一旦あると、そちらにばかり目が言ってしまうようになったそのときに、金融の破綻が来るともろにその影響を受けて破綻した会社が多くありました。そんな、20世紀から21世紀に伝えてゆくもの、今いるものがこれからどうすればよいかを対話する、それをWorldCafeは効果的に実現するにふさわしい方法でした。そのようなことの集大成作りに参加できることは、非常に楽しみなことです。
私がこのようにことに関われたのも、2009年の12月からアカデミーヒルズ 六本木ライブラリーのメンバーになったことがあったからでした。月数回行われるライブラリー・トークに、当時はほとんど参加させて頂き、そんな中でめぐり合ったのがこのVisionary InstituteセミナーとWorldCaseでした。テーマは経済、芸術、言葉のこれまでとこれから、ホスピタリティ、宇宙など色々な方面の話題をとりあげ、対話の基調には未来に向けて、今私たちは何をしておかなければならないかを考えた時間でした。対話に当たって参加者にはいくつかの戸惑いがありました。それは、未来とは10年後位の現実性のある間隔で考えるのか、次の世代、その先の世代が生きる世界を未来と呼ぶのかでしたが、これについては持続可能な行動、考え方という観点から考え、短期、中長期のベースとなる意見が多く出たように思います。
私は当初からWorldCafeという対話のやり方に興味を持ちました。会社の管理者研修などの場合、グループ作業が必ずあるのですが、そのときには声の大きい人、いつも発言する人が、10分くらいの間でグループの意見をまとめなくてはいけないという意識で、自分の意見や、数人の意見だけでまとめてしまうという、中身のないものがほとんどで、発表した時点で終わってしまうというもので、私は常に疑問に思っておりました。実際、WorldCafe予行演習となる第1回では、何の抵抗もなく、参加者全員が自分の意見を出していました。この体験を、これで終わりにするにはもったいないというのと、他のグループにメンバーが移っていって意見を代表して説明し、そのグループでの話を元のグループに持ち帰るという、全員がグループの代表として対話に参加し、グループの意見をグループ内でまとめて、各グループの代表が発表するという一連の体験を、なんとか形あるものに残したいという思いから、各グループのまとめたテーブルクロスを写真に取り、グループごとの発表のエッセンスを言葉にして、その当時、ちょうどはじめたブログにまとめるようになりました。このような対話に効率化は求めてはいけないのかもしれませんが、各グループのテーブルクロスを見ながら、各グループの発表を思い出すのは大変な作業でした。それは、テーブルクロスに書かれた意見が、少しでもまとめようとして書かれているのは分かりますが、それらの関係がグループ化されていなかったり、雑然と書かれていたので、多分、そのグループに参加された人達も、1週間後にそのテーブルクロスを見て何が話されたかを思い出すのに大変だろうと思いました。私はその当時マインドマップにも興味を持ちましたので、対話をグループごとにまとめてゆくという書き方でテーブルクロスを利用すれば、もっと頭の中が整理されてより有効な対話になるのではと思いました。しかし、マインドマップの本に書かれたマップはイラストやカラーリングできれいにまとまっているのですが、1つ1つの円の中には単語が書いてあるだけで文章は書かないので、これって自己満足以外の何者でもないと感じていました。そこで、考えをグループ化し同じ意見の深まりを枝を伸ばしてゆくという図の書き方を採用しつつも、円の中には出来るだけ短い文章(主語、述語を持つ)にして、テーブルクロスを、マップにするという作業をしました。幸いなことに、薄羽さんにメールで私の試みを紹介させて頂いたところ、皆さんにも紹介していただき、何人かの方からは、ブログを見ました、分かりやすくて良かったというような感想も頂きました。
薄羽さんはこのVisionary Instituteを、21世紀への贈り物として対話を通じてそれぞれの方が考える機会を企画、運営されてきて、当初からその成果を広く共有したいと言われていて、次のステップへのリーダーシップをとられました。その、思いに皆さんも共感し、これから、そのお手伝いが出来ればと考えられて、今日の集まりとなりました。21世紀への贈り物は私たち世代が考えるだけではなく、若手の視点からも重要ですので、今日参加された将来有望な若者、お二人とともにゴール目指して頑張りたいという思いを強くした日でした。これからの作業は、参加された多くの方達、それぞれの方が、違った観点での貢献をされましたので、分科会としてそれぞれの意見をまとめてゆくという薄羽さんの編集の延長にゴールがあるように見えます。
2013年12月3日には待望の書籍が出版されました。タイトルは「賢者の本」です。


私のこのブログは私自身でAmazonに電子書籍化しました。


2011年3月20日日曜日

東日本大震災について


今まさに大震災が起きて1週間以上が経過したときに、今なにが起きているかをニュース、新聞から得た情報および身の回りに起きていることを記録しつつあります。そして2週間目、3週間目、1ヶ月目、2ヶ月目と書き加えていっています。特に私は都内に住んでいますので、現地の状況は実感としては分かりませんが、都内でも影響は長く続いています。
キーワード 人を動かせない菅内閣で進まない震災対応 義援金が被災者に届かない 世界中に広がる反原発運動
東日本大震災を乗り越える知恵 World Cafeでの対話はここをクリックしてご覧ください。
地震発生 強い揺れが長く続く
2011年3月11日午後2時46分ごろ、マグニチュード 9.0 を記録する東日本大震災は、地震そのものの強さもありますが、地震の被害よりも大津波の被害が甚大でした。地震で倒れた建物もありましたが、多くの建物が倒壊を免れていたと思います。ただし、室内のものはほとんど倒れてしまったとは思いますが、それだけではこれだけ多くの死者を出さずにすんだと思います。今回の特徴は、地震によって発生した津波により、集落の全ての建物が港から来た波に山の奥まで流され、波が引くときに再び海に向かって流され、海には多くの木屑が漂っている様子が映像で流されました。また、その震源の広さは東北北部から関東にまで及ぶ広いものでした。千葉でも石油コンビナートが延焼したり、浦安などでは液状化現象での地盤沈下なども起きていました。被災地の惨状は文章に尽くしきれないので書きませんでした。
都内高層マンションの現実
ここ数年来、おしゃれな高層マンションが都内のあちこちで建っています。特に高層階は人気が高く、販売価格も高層階になるほど高く設定されています。ニュースによると都内のマンションは高層、低層に関わらず倒壊したマンションは1つもなかったそうです。日本が地震大国ですから、耐震が前提で建てられていることが証明されました。高層マンションの地震対策は昔は耐震、最近は免震が増えてきたそうです。私が実際に体験したのは昔、池袋のサンシャイン60の55階と中間階の両方にオフィスがあり、この当時の主流は耐震(建物が竹のようにしなって地震を受け流す)で、耐震の場合は全体の高さの中間あたりが一番床が移動するようです。ですから、55階という高層階ではそれほど揺れないようでした。最近の免震マンションでは、人気の高層階が一番揺れるようです。前置きが長かったのですが、今回の地震で都内の高層マンションは外から見たら何の被害もありませんでしたが、一番人気の高層階の中は家具がほとんど倒れて無残な状況のようでした。これを機に、転倒防止器具で家具を固定された家が多くなったと思います。
千葉県浦安市での液状化現象被害
毎日の報道は津波被害の大きかった被災地と原発問題に集中しているが、今回の被害の広範囲なのを思い知らされることが身近にあった。東京に近い浦安といえば東京ディズニーシー、ランドがあるが、その駐車場などが液状化で亀裂が発生して使用できない状況になって、再開のめどが立っていない状況である。浦安市ではその3/4の地域で液状化の影響でガス、電気、下水が使えない状況になってしまっている。映像から見ると多くの建物が傾いていて、電信柱も傾き、どこから手をつけてよいか分からないという状況のようです。23区に住んでいる私には家財道具に被害がなく、計画停電にはいつなるかとの不安がありますが、被災地を考えれば当たり前のことですし、物が不足したといっても普段より使用を控えればよいので身近に考えられなかったのですが、東京のすぐとなりの浦安がこんな状況になっているのを見聞きして更にその被害の大きさを実感させられました。なぜ浦安がこんなに大きな被害にあったかというと、もともとそこは陸地ではなく海だったところを埋め立てた土地で、地震によって土地の奥深くにある海水が漏れ出して地上に出てくる過程で土地が柔らかくなり沈み込んでしまったということのようです。
東京湾木更津での津波
今回の地震の広範囲さを表すように、浦安での液状化によるライフラインの破壊や東京湾の石油コンビナートでの火災、そして、目立たなかったのですが、木更津での津波による漁船の被害など、広範囲に起きました。また、大震災に起因して茨城や長野そして千葉内陸部での余震、水道水の放射性物質での汚染など、東京でも被害が広がっていました。
当日の東京の交通事情
東京では地震当時電車がほとんど止まり、そのまま終日運休となり、地下や提供された施設、大学の体育館、公共施設などに毛布1枚で泊まったりし、私の三男と妻は信濃町から鷺宮まで歩いて4時間かけて(多くの人が歩いて帰宅する列でゆっくりしか進めず、慣れない道を帰宅)夜遅くに帰りました。今回の身近な体験を通じて、切実に、いくら科学が発達しても、予測不可能なこと、事前対応が役に立たないことがあることを思い知らされました。私は熱海で管理者研修を受けていた最中で、今まで経験のしたことのない大きな揺れと、何にも増してその時間の長さが初めてでした。家の事が心配で携帯で連絡を取ろうとしましたが、回線がパンク状態で全くかかりませんでした。しかし、メールだけは送ることができたので、連絡を待ちました。当日はそのままホテルに泊まり、翌日8時にバスで東京に向かいましたが、東名高速はスムーズに移動できて、途中休憩をいれても10時前には東京駅に着き、そのまま中央線、山の手、西武新宿線と順調に帰れました。長男は大学の合宿で山中湖にいてそのまま合宿をして数日後に帰ってきました。次男は高校生ですが、慶応大学藤沢キャンパスでのロボコンの見学をして翌日の授業を楽しみにしていたのですが、初日に地震に会い引率の先生と大学の施設で、大学から支給された毛布で泊まり、翌日に帰ってきました。高校は電車が動いていない期間が長く、そのまま4月の始業式まで休みとなりました。
当日から1週間の東京の交通事情
当日から1週間は東京の電車は運休の線が多く、会社の判断としては出社できない社員がほとんどで、毎日翌日の出社はどうするのかがメールで指示されておりましたが、結局、毎日自宅勤務となりました。身近な例で言えば、私は西武新宿線の鷺宮駅が比較的最寄の駅ですが、最初の1週間は西武新宿から鷺宮間の往復運転でしたので、その先の駅から通う人はバスなど乗り継ぐいで動いている線まで出なければならなかったのでした。私は通勤しようと思えば、鷺宮から高田馬場に出て山の手や東西線などにでれますので出社できますが、会社が休みとなり、毎日メールで仕事をしていました。電車は近郊線、東北新幹線、上越新幹線なども動いていませんでした。唯一地下鉄は本数が少ないもののほとんど運転しておりました。しかし、地下鉄の会社線への接続運転は中止になっていて、地下だけの運転でした。2週間目からは多くの電車が動き始めて出社できるようになりました。その間、都心の多くの店は臨時休業で、まるで地方のシャッター街のようでした。
生活インフラの崩壊と復旧
生活のインフラはなんと言っても交通手段。道路、鉄道。被災地ではこれらが寸断されてしまっていて、被災地に行くのもままならない状況である。食料も医薬品も、まずは交通手段の回復が最優先となります。当面は自衛隊のヘリコプターや、なんとか使えるようにした港への舟による輸送でしのいでゆくのだと思います。次に電気、ガス、水道。電柱はなぎ倒され、あちこちで寸断されています。ガス、水道は地下のため地震で亀裂が生じていれば、やたらと開通させるとあちこちでガス漏れ、水道漏れになってしまいます。次に情報手段。固定電話、携帯電話、災害用無線、災害連絡用スピーカーなど。固定電話は、電話線が各戸まで電話局からつながれているので、電話局すら流されている状況では、道路が開通し電話局舎がたち、電信柱が各戸までつながらないと使えません。当分は、避難所などに仮設された限られた固定電話を使うことになります。携帯電話は無線だからすぐに使えるかというとそうではありません。皆さんはあちこちの屋上に携帯電話との通信用のアンテナが立っているのに気づいたことがあると思います。そうです、携帯用の無線は到達距離が短く、あちこちに立てないといけないのです。また、NTT、au、SoftBank, EMOBILEなどそれぞれでアンテナを用意しなくてはいけないのです。アンテナが立つには、建物がなければなりません。建物にはアンテナからの信号を光ファイバーで送れる有線の信号に変換して、近くの上位局と光ファイバーで結ばなければなりません。しかし、最初に携帯をつなげることに対応したのがauで、移動基地局(大型車が基地局に必要なアンテナを備えていて、近くの基地局との通信と、個人の携帯との無線をおこなう)を配備してその車の周りでは携帯が使えるようになりました。しかし、台数は多分1台程度だと思います。NTTは固定電話を特定の避難所に数台用意してそれを提供しました。また、衛星携帯電話という高価なものを、これも限られた台数用意して、特定の避難所に配備したようです。また、DoCoMoは2週間程度経ってから移動基地局を被災地に数台?配備したようです。この移動基地局はauのそれよりも大きな出力を持つより多くの携帯とつなげられるものを配備したようです。こういったものは、平時では無駄なように見えますが、万が一の災害の時には役に立つことが実証されました。以上、こう見てくるとまずは道路の整備が急がれます。各県にある重機などを駆使して一日も早い道路整備が望まれます。
例年になく寒い時期での被災地暮らし
被災地は例年より寒くまだ雪が降り続くことろもあり、朝は零下に気温が下がる日があり、体育館で床に毛布1枚で寝ていて寒くて眠れない状況で、震災から生き延びていても、避難先で寒さ、食糧不足、医薬品不足、ストレスなどで亡くなる方も増えています。それに加えて、寒さよけの灯油、ガソリンのための石油プラントの破壊などにより被災地にこれらが届いていない状況が続いています。こんなときでも、比較的交通の便の良いところでは救援の手が届きつつあり、便の悪いところでは、まだまだ救援の手が届いていないというのが現状のようです。私達は無駄な電力を使わないために、節電につとめています。丁度震災より3ヶ月が過ぎました。状況は徐々に変化してきて、極寒の地にも耐えられない暑さの夏が近づいてきました。これからは暑さとの戦いになると思われます。被災地の皆さん、熱中症にはくれぐれも気をつけてください。
被災地での医療活動
被災地では病院も災害を受けて使えないところが多く出ている。やっと使えている病院でも電気が届けられていないので、予備発電でも1日程度しかもたずに、入院患者に必要な呼吸器の電源、手術が行えない、人工透析が行えない、重病者に必要な薬剤が欠乏しているなど、病人にとっては被災を逃れても危険な状態は増えているというのが現状でした。病院が津波に流されてしまってのみならず、病院関係者も被災して医師不足も深刻である。
被災者自身の中からのボランティア
また、被災者自身の中からのボランティアが現れていて、がれきの撤去の手伝い、配給物資の仕分け、配給の手伝いなどが救いとなっています。また、若い人達も積極的に自分達も何かをしなければという思いでやられていると思います。これは人のためだけではなく、自分自身へ頑張れと鼓舞する意味合いもあるようです。
被災しなかった地域の自治体の取り組み
被災地では多くの建物が倒壊して壊滅的な状況にあり、被災した人たちが避難する場所も広範に及んでいて、生存者の把握ができていない状況にあり、支援物資も行き渡っていないのが現状です。しかし、近隣の自治体が不自由な環境にある被災者を受け入れるという動きがあり、より環境の整ったところでの避難生活ができようになった人も出てきた。また、福島原発から30Km以内に住んでいた人たちは、その外に移動して避難しているが、こういう事態への対応がされてこなかったため、混乱している。このような人たちに、たとえば近隣の埼玉では埼玉スーパーアリーナ(大規模体育館)では3,000名程度を受け入れてより、恵まれた環境を提供しはじめています。また、被災しなかった地域の自治体は、災害に備えて備蓄してあった物資を被災地に届けるという動きも出ています。
原発事故での追い討ち
それは、緊迫感のない原子力保安員の「ビジュアル的に大変そうに見られてしまうので報告をセットしました」というようなニュアンスの発表から始まりました。そもそもこの発表はテレビで遠くから原発を監視していたカメラの映像に原発から爆発による煙が上がっているのが写っていて、心配した問い合わせに応じての発表のように見えました。私だけの感想ではないとは思いますが、このような事態はなるべく知られずに対応しよう、または、対応できるとの見通し、更には知らすといらぬ不安を招くから、なるべくなら知らせないほうが良いという、菅政権の体質が現れているように思った人は多いと思います。そうこうしている間に、追い討ちをかけるように福島第一原発の1号炉から3号炉の同時障害による放射能漏れ、4号炉の建屋に保管していた使用済み核燃料からの放射能漏れが起き、復旧に大きな障害となっています。4号炉から6号炉までは点検中で稼動はしていなかったが、使用済み燃料棒は原子炉から取り出しても3年間は熱が冷めずにいて、その間流れる水にて冷やし続けなければならないので、もし、冷却水が止まってしまえば、燃料棒が溶けて中から放射線が漏れ出すというもので、津波により電力の供給が途絶え、冷却のための水を送るポンプのモータが稼動せず、温まった水が蒸発して燃料棒が水から現れだして高熱になり、放射能漏れを引き起こしたようです。連日の報道ではその度に、どんどん状況は悪化していて、明るい材料がわずかに出てもすぐに、また悪い材料が出ているという、今までに経験のない状況に遭遇している状況です。当初の発表は官僚に近い原子力保安員からの報告でしたが、次第に枝野官房長官からの記者発表に比重が移り、また、福島県からの発表もあり、次第に東京電力からの直接の報告が増えてきて、このような情報発信の方法に批判が起きています。つまり、現場の映像のない言葉だけの報告は、ほんとうに発表者がどれだけ報告を受けているのかが疑われるような発表が続いています。
現状を良く知らされずに退避させられた原発から半径10km範囲圏の人達
最初は半径10km圏内の避難勧告、そして20km圏内の屋内退避勧告から30km圏内の屋内退避と広がる危険圏内になる過程で、避難する場所の割り振りなど以前から計画はされていないことから考えると、自治体もこのような災害を想定していなかったことが露呈しました。避難しなければならない根拠の説明が分かりづらく、分かりやすくするために、CTスキャンでの被爆などと退避して説明されていますが、時間軸(1年間その量を浴び続けた場合の被爆量とくらべて一時的な被爆は影響がないとか)の説明があっても、一般人には実感がわかないのが実情だと思いますので、説明のもう一段の工夫が必要と思われます。海外では日本の報道を信じていないようです。海外から見れば、今の原発の状況は、いつ爆発してもおかしくない状況であると見ているようで、日本にいる人達に国外に出るようにと勧告しているようです。
原発関連2次被害
原発で作業に当たっている東京電力の社員、協力会社の社員、自衛隊員、消防隊員などは被爆量が人体に悪影響を与えるぎりぎりのところで作業しているようだ。はたから見ていると、なかなか進まない作業と、次第に状況が悪化している状況を心配しているが、現場では最大限の努力をしているようだ。そのような中、避難してきた人たちが、避難所の環境が悪いので、避難圏外のホテルに避難しようとしたところ、被爆しているかもしれない人は泊められないという事態もおきているようです。また、避難圏内にあるほうれん草や福島県の牛乳の原乳を抜き取り調査したところ、定められた量を上回る放射線量が検出されたとの報道があり、これもきちんと判断しないと風評被害が出る可能性もあります。この汚染も原発の被害の深刻さが広がるのに呼応して、つぎつぎと別の地域でも汚染された野菜が見つかってきた。また、ほかの農産物も測定したら同様の量が測定された野菜が11種類にも及んだが、これは調べた野菜だけなのでもっと調べれば出てくることは確実である。政府はこのような野菜を出荷しないようにしてしまった。つまり生産者は育てた野菜のすべてを廃棄することになってしまった。また、3月23日には葛飾の金町浄水場から基準値以上の放射線が検出され、東京23区、多摩地区、三鷹その他の地域に住む乳児には水道水を飲ませないようにとの発表が政府からされた。つまり、乳幼児に飲ますためのミルクは水道水で解かないで、ミネラルウォータで解くしかなくなってしまった。福島県飯舘村では、簡易水道水の飲用を控えるようにということが発表されました。このような発表があってすぐ、街角のコンビニやスーパーからミネラルウォータがめっきり減ってしまい、夕方ころには品薄になっているようだ。今回の政府の対応には矛盾を感じる人も多いだろう。つまり、テレビに出る学者の方は、これくらいの量なら健康には、今すぐについても、将来にわたっても心配はないと言っているのに、政府は何でもかんでも規制してしまっている。風評被害ではなく、後々責められたくないという思惑か非常にナーバスになっている政府のおかげで生産者の生活を保障するとの確約なしに規制だけ進めるのは2次被害といわずに何であろう。
原発事故への東電職員や東電の委託会社での対応状況
地震直後に菅総理はヘリコプターで原発に乗り付けて数時間現地の責任者から事情の説明を受けていたそうで、これが現地の初動の遅れにつながったという批判もあります。その後の原発建屋の爆発から始まって、日に日に状況は悪くなり、東電は被爆を恐れて何も手を打っていなかったように思えた日が続いた。日が経つにつれて消防庁のハイパーレスキュー隊の放水や自衛隊のヘリコプターでの放水などと次々と外部の応援が伝わってきたが、原発職員の作業が全く見えてこなかったので、東電は本当に当事者意識に欠けているのではと思われました。しかし、3週間以上が過ぎてやっと現場の職員の困難に決死で立ち向かっている姿が報告された。現在現場では約400名の方が、水も電気もない、食料もわずかしたとれない状況で、近くの建屋で床に寝泊りして作業していることが分かりました。原発とはこんなに多くの人達で立ち向かっても押さえ込めないものだと再認識しました。そして、遅ればせながら、米国、フランスなどの原子力先進国に援助を要請し、これらの国からエンジニアが来て放射性原子の線量の観測の手伝いや、対応へのアドバイスなどを始めていますが、放射線の空気中への飛散、原発前の海岸への高度に汚染された冷却水の流れ込みなどが一進一退で推移しています。皆思うことは、本当にこれが収まるのか、更に重大な事態に進むのではないかという心配があります。いずれにしても、4基の原発は復旧しても、もう動かすことは出来ないので廃炉せざるを得ない状況であり、今後、ここで発電していた電力をどこで補うか、いつまでに安定供給できる時期がくるのかが、今後の日本の産業の復興に大きく影響することは間違いないことだと思われます。
ヒステリックな菅総理の原発事故への対応
伝えられた情報から本当のところは分からないが、原発事故がおきて、東京電力の社員が対応に追われている最中、作業員の作業は被爆可能性を計測しながら作業を続けているのだが、東京電力側の報告を受けている際に、作業員が危険なので一時作業を見合わせているときに東京電力に乗り込んで役員に、『(原発対応は)あなたたちしかいないでしょう。(原発からの)撤退などあり得ない。覚悟を決めてください。撤退したときは東電は100%潰れる』といって脅したそうです。この事故が起きた当初はそのことすら知らされず、テレビを見ていて原発の状況を把握したようです。このようなのが、今の政府の危機管理体制であると知らされると、非常に不安になります。また、当初は復旧に向けて背広を脱いで作業服を着ていた菅総理も、1ヶ月も立たない間に、これからは復興だとうように軸足を動かしたようで、何事もなかったかのように、背広姿で大連立構想など、荒唐無稽なことを言いはじめています。
政府の対応の悪さ
また、こういうときこそ、結束して迅速なチーム作りができる政府、公共機関の体制作りが必要だと痛感しました。また、自衛隊、消防庁、警察など特に有事には頼もしい存在があって、政府の対応の悪さをカバーしていて感謝しています。折りしも、ねじれ国会で政権交代を勝ち取っても、構成する政府のなかはバラバラで、このような事態に対応できる人材もなく、打つ手が後手後手に回っているという指摘通りの状況です。経験豊富な、元与党の人を生かすことが出来ない状況で起きてしまったことです。今国会の予算は、矛盾だらけで通りそうもなかった状況で起きた震災なのですが、今後の復興資金の特別予算化などは与野党協力して進めてもらいたいと思います。そして、原発事故が一段落したら、きっちりと国民の審判を仰ぐ必要があります。現政府は、決して高い評価は与えられないでしょう。
菅首相が5月6日に中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の運転停止を要請
管総理の発表内容一部「文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫をしております。こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要です。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在、定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断をいたしました。」
中部電力は菅総理の要請を受けて、浜岡原発は5月14日に全ての原子炉を停止した。これに至ったのは、米国からの強い要請が関係者にあったという話もあり、米国は横須賀に基地を持ち、また、浜岡原発で福島原発のような事態が起きれば、東京も大きな影響を受け、機能が停止してしまう事態になるのは明らかなので、日本自体が大きな経済的影響が起きることを避けるため、大分前から日本政府や原子力関係者に要請を続けてきたようです。その真偽はどうあれ、この原発を止めることは後世に良い評価を受けることは明らかです。ただし、唐突な発表と原発を止めることによる中部電力への政府からの資金援助、原発を持つ地域への経済援助などの問題を明確にしないままの菅総理の決定のしかたは、全く変わっていない。
身内を使って賛成を作られた安全神話の化けの皮が剥がされた
原子力廃棄物が安全になるまでに地下深く保管して地下水などに10万年間は漏れ出さないようにしなければならないなど、解決できない問題には触れないようされてきた。稼働中の燃料棒は冷却し続けないと溶け出すほど高温になってしまう、制御の難しい物を、今迄はどんな手口でだましてきたのかを考えると経済産業省と電力会社の傲慢さを感じざるを得ません。
原発事故後も新興国への原発の輸出を推進する神経とは
原発事故の大変さを身にしみて知ってしまってにもかかわらず、その成長には十分な電力が欠かせない新興国への原発の輸出を推進していると聞いて、その神経のなさに呆れてしまいました。使用済み核燃料の処理には鉛で囲んで埋めるしかないというものを、これ以上世界中に拡散しようとしているのです。これも、経済優先のなせる業だとしか言いようがありません。新興国こそ、余りある自然を利用した自然エネルギーの壮大な実験場となりうるわけですが、この怖さを知った日本が、なぜ原発の輸出に力を入れなければならないのでしょうか?



このような時期での菅内閣と民主党の党内抗争と”ペテン師”、”詐欺師”発言
震災復興が進まない中、野党から内閣不信任案が出されるという話が起きてくると、菅内閣の手腕に失望している民主党議員および、対立している小沢議員がこれに同調する動きが加速し、民主党内部から70人あまりが不信任案に賛成するというまさに、その状況の中、不信任案に賛成の意を表明していた鳩山前首相が、さすがに内部分裂は避けたいので、菅さんが辞任を表明する形で決着をつけようと、投票のまさに前日に、菅総理、岡田幹事長、鳩山元総理、平野元官房長官が話し合いをして、鳩山さんが菅さんに辞任の条件を話し合って文章に残して、翌日の民主党大会の冒頭、菅さんが辞任をほのめかし、それを受けて鳩山さんが皆に反対に回るようにというニュアンスの発言をした結果、小沢さんも自分のグループに反対に回るように通達をして、一気に党内の不信任賛成派が反対にまわり、結局、小沢さんは採決に欠席、松木議員ひとり賛成を貫いたという結果に終わった。翌日、菅さん、岡田さんは口をそろえて、鳩山さんに辞任をするとは言っていないと公言し、鳩山さんは菅さんを”ペテン師”、”詐欺師”とののしった。鳩山さんが菅さんと交わした辞任の条件の文書に菅さんに鳩山さんが署名を求めていたが、菅さんはおれを信頼してくれというニュアンスで署名まではしなかったようだ。菅さん、岡田さんはそれをたてに、辞任の条件なんか付けていないし、原発の冷却停止が終わるまで(東電の予定表では来年の1月)は辞任はしないと、菅さんが言い出してこのような発言につながった。どこまで、自分たちのことしか考えていない人たちを、私たちは議員にしてしまったのだろう。
お殿様気分で被災地に赴き暴言を発してクビになった松本龍震災復興担当大臣
しかし、呆れてものも言えません。被災地の子供たちでさえ、何、この人って言っています。野党暮らしの長い田舎ものの議員さんが、突然、大臣になって県の首長の話を聞きに行くのに、相手が先に来て自分を迎えるべきだとか、国にばかり期待せずに、自分たちでアイデアを出さないと補助金を出さないぞとか、県の首長が外に迎えに来ているときに、にこにこしながら、サッカーボールを蹴って相手にとらせたりと、まったく被災地に出向く復興責任者の姿とはかけ離れていました。まだ、こんな人がいたんだなという失望感を味わいました。きっと、本人は反省していなくて、奥さんから注意されて、何か悪いことを言ったかなというような悪びれない様子でした。安部内閣の末期もまったく似たようなもので、だれがこんな人を当選させてしまったんだと腹が立ちました。
東京電力管内での電力供給不足と灯油ガソリン不足
これに伴い、東京電力管内では原発が使えないための電力供給が不足し、予測不可能な計画停電が行われ、電車の運行が運休、間引きなどでこの1週間は会社は自宅待機、学校も登校禁止など復旧の障害となっている。津波で亡くなられた方の人数は膨大で、被災地はがれきで救援に行けずに、把握できない死者も多く最終的には戦後最大の災害となってしまった。
節電の自主協力と要請
節電のために、列車を動かすための電力も十分供給されないため、各社は運休、間引き運転により協力していますが、町でも、節電に協力しようと、店の営業時間を短縮したり、昼間の屋内の電灯を一部だけ点けたりと協力の輪もひろがっています。また、Jリーグでは今年のスケジュールを一部間引いたりしてスタジアムでの大量で電力消費を抑えようと計画しています。野球はこれからシーズンが始まりますが、ナイターなどは多くの電力を使うので、選手会としては開幕を遅らせたり、ナイターを減らすようになど球団に要望していて、パリーグはすぐにそれに応じるという対応をしましたが、セリーグは難色を示しており、足並みが揃っていません。その一つに東京ドームがあります。屋内施設であり、昼でも照明と設備の電力を消費するので、特にナイターの自粛を政府から要請されるという事態になっていますが、東京ドームの対応は遅いように感じます。甲子園での春の高校野球は被災地を励ますという趣旨から予定通り実施する予定で、被災地の宮城の高校も甲子園に向かいました。送り出す現地の人たちも、「こういう状況だからこそ、頑張ってくるように」と送り出したようです。節電には協力しなければならないが、工場などの操業に影響が出てきて、工場の作業時間の短縮により国内生産が落ち込んできている。これは、震災から復興しようとする力をそぐことになってしまっている。
世界中に広がる反原発運動
イタリアで原発の是非を問う国民投票が行われ、有権者の約57.07%が投票をし、脱原発を継続し再開に反対する票が9割を超えた。それに先立ち、ドイツのメルケル政権は、国内にある17の原子力発電所を2022年までにすべて閉鎖することを閣議決定した。これらの国に関わらず、多くの原発を持つ国では、反原発運動が起きている。日本でも、全国にある原発のうち、運転を停止しているものの再開についての地元での反対が強くなってきている、再開される原発がほとんどないという見通しが出ている。今までは、国を挙げての安全神話が根拠が薄いことに気付かされ、一気に反対へと傾いてきている。スイス政府は25日、国内に5基ある原子力発電所を、寿命を迎える2034年までに廃炉とし、改修や新規建設はしないとの国家目標を決めた。
海江田経済産業省大臣のあまりにも早すぎる原発安全宣言
長く続いた自民党時代の経済産業省と組んだ、根拠のない安全神話を国民に植え付けて、地域援助という飴をぶら下げた原発推進の活動が、ここにきて推進ありきで、後付の説明のカラクリが見えてきてしまった。この時期、原発を自粛する動きが加速しているのを嫌って、経済産業省は「原発安全宣言」を大臣を通じて発信した。しかし、原発利権に頼る各地の電力会社の対応の誠実さのなさを現したかたちで、九州電力のやらせ「原発賛成メール」という不祥事が発覚。これは、テレビ番組を利用して、一般の人の原発再会への声を聞くという名目で、実は、九州電力の協力会社へ原発賛成のメールを、やらせとは分からないように、自宅のメールから発信するようにとのメールでの依頼が、マスコミに流れてしまい、安全宣言を早々と発信した海江田大臣の進退問題へと発展していった。いずれ、早い時期に海江田大臣も退任するだろう。政権交代、その事自体はよい事で必要なことであったと、今更に思うが、民主党自体が意見がバラバラの寄せ集め集団で、これを束ねられる器がなかったのが、国民の災難だった。自民党がよいと言うわけでもなく、民主党もこんな状況であるから、一向に一体感がない政治となってしまった。被災者の方々は、こんなにごたごたせずに、緊張感を持っての素早い行動を望んでいるが、この体制を続けることは何の解決にもなりません。早めに選挙して、駄目は駄目と結論をだして、残った人が新たな体制で望むのが一番だと思います。
天皇、皇后両陛下の被災地の慰問
天皇、皇后さまが大宮に避難されている方々への慰問や、被災地の避難場所への慰問など、テレビを通していてもそのお心使いは素直に伝わって参ります。一人一人へお話をされたり、お体に気をつけてくださいね、など時間をかけて、皆さんのお話を伺っておられ、皆さんが本当に天皇、皇后様へ感謝の意を表しているのが伝わってきました。それに比べて、菅総理の慰問といったら、被災者からは、来る必要はないとか、来るときいてお願いを言おうと待ち構えていたら、ほんの短い時間に作り笑いを浮かべながら、被災者の方への慰問は、あっという間に過ぎていったようです。合えなかった人達は不満を抱えながら、それをいう機会があると思って待ち構えたいたら足早に去っていかれた様です。こんなパフォーマンスは、皆さんにすぐに見破られてしまっていました。これほどひどかったとは、自分の人を見る目がないことに気付きました。
都内での買いだめによるコンビニ、スーパーなどでの品不足
一時的に物流が混乱し、コンビニでの食料品、トイレットペーパー、ティッシュなどの品が少なくなると、ものがなくなるのを心配して、必要以上に買いだめに走る人が増え、その報道を見てさらに不安になりこれらを捜し求めるなどの混乱が生じた。本来、これらのものを一番必要としているのは被災地の人たちで、私達は必要な分だけを買い求めるという心理が働かなかったようだ。しかし、物流はすぐに解消され1週間程度で普通になるという報道と、被災地を優先にという気持ちが戻ってきて、だんだん平静化しつつあります。そんな時、震災から約2週間後あたりにおきた、都内での水道水の汚染が検出され、乳児には水道水を飲ませないようにとの通達があったとたん、コンビニにあった水のペットボトルが売切れてしまったという状況になったしまった。
銀行の対応
被災者は何も持ち出す余裕もなく逃げ出して何を逃れたので、金銭の持ち合わせはほとんどないのが実情だと思います。また、家も流され、探すすべもありません。しかし、援助物資だけでは食べるものも十分でないため、不自由ながら販売を再開したスーパーなどで買い求めるにはお金が必要です。このようなことを考えて、銀行では通帳やカードがなくとも身分が証明できれば10万円までの金額をおろすことができるようになりました。しかし、皆が免許証などの証明書を手元に持っているわけではなく、おろせなかったり、借りられなかったりしているのが実情です。
海外で活躍しているスポーツ選手からの支援
海外ではこの度の災害を大きく取り上げており、日本から離れている人たちも大変なショックを受けていると思います。これらの人たちは、精神的、金銭的支援を申し出ております。スポーツ選手に限らず、日本から出ていた人達は正確な情報が得られるはずもなく、不安な精神状況であることは想像できます。
海外からの災害支援
今回は、海外の災害対策チームの行動が早く、中国、韓国、ニージーランド、ドイツなど救援の表明が早く、受け入れ側も体制が整うのを待つというより陸上自衛隊を中心にこれらの人の配備などが進んで成果を得ています。米国は戦艦を日本に向かわせて、海から飛び立つ自衛隊のヘリへの給油などにあたっています。このように陸から現地に行くのが難しい状況では、何と言ってもヘリコプターの機動力が重要です。支援には人的支援、金銭的支援など、ありがたいことです。これも、日ごろ他国の支援に迅速に当たってきた、日本の援助隊への感謝の表れとおもわれます。
国内外の義援金の輪の反面、被災地にはなかなか渡されない現状に批判
国内では多くのスポーツ選手、芸能人、産業界、一般の方、また日本に一番近い外国の韓国からは多くの芸能人からの金銭的支援が多くあり、その対応の早さに感激しました。その他、巷でも各地で義援金募金活動活発で、その総額の多さに驚かされました。さぞかし、皆さんに少しずつでも渡されているのかと思う反面、本当に届いているのかという疑問も皆さん持っておられると思います。この災害から1ヶ月になろうかという、今日、4月8日にして、やっと、当面どのように被災者に届けようかとの指針が決まったようです。しかし、実際に手渡しに行くのは現地の自治体職員となるわけですが、被災者の生存すらも把握できていない状況では、スムーズにわたるのは難しいとは思いますが、そんなことを頭の中で考えている間に時間は、どんどんと過ぎていってしまっています。こういうときこそ、柔軟な運用というのが重要であるのです、一刻も早く多くの人の誠意が手元に届くようにして頂きたいと思います。なかなか渡されない理由は、行方不明者が多すぎて、義援金を均等に、公平に分けるためのデータがなくなってしまって、どうしたら公平に分けられるのかをずっと思案しているという状況のようでした。最終的には義援金は県から市へと渡されていって、当座の資金として渡されることが決まったのがだいぶ経ってからでした。東京電力も、やっと重い腰を上げ、被災者への見舞金を当座の資金として活用するように、家族は100万円、単身は75万円として手渡したようです。被災から3ヶ月、日赤に振り込まれた義援金2712億円の7割が配布されていない。関係する県へ配布された義援金でさえ、公平に配布するという大義名分をかざして、り災証明書が無い限り、対象とならない。り災証明を発行する役所の人たちは毎日遅くまで作業をしているようですが、そのようなやり方ではまだまだ時間がかかりそうで、避難所生活が長引いて亡くなった方や、将来への希望をなくして自殺する方などがでてしまっています。
外国企業の対応
外国企業は日本政府の原発の被害状況の発表の少なさと詳細さに欠ける状況に不信感を持っていて、海外から日本に派遣している社員の被爆などを心配し、一時帰国させたり、急遽大阪に事務所やホテルを借り、不安な社員と家族を移動させるという対応をするところがあると報道されていました。日本人社員からすればやりすぎという意見もあると思いますが、海外から見れば社員の安全を第一に考えるのは理解できますし、テレビでは官房長官も、これらの動きには一定の理解を示していると言っていました。外国からは日本に住んでいる人達に対して退避勧告などをしているところもあり、国内との温度差が際立っています。
頑張ろう日本
このような甲子園の選手宣誓に始まった高校野球が開催され、被災地の東北高校を地元の後押しで参加しました。色々なものが自粛されて、日本の元気が薄れてしまっては、復興への元気も出てきません。高校生の頑張る姿を応援していると、被災地でのつらい生活を、つかの間でも忘れる人が多かったのではないでしょうか?
仙台などに住む留学生や外国籍の人達が県外へ避難
外国の本国からは国外退去などの指示が出てきているようです。仙台の留学生400人以上の多くが県外に避難したようだと、3月20日の朝日新聞に書いてありました。その一方で、日本人の強さを信じて、再建への歩みを見届けようとする人もいるようです。私も日本人はこのような災害に強い国民だと思いますし、そう信じて行動して行きたいと思います。私も30代半ばのときに2年ほど転勤で仙台に住んでいましたが、仲間達は芯の強い、仲間思いの人達が多かったように記憶しています。
金融不安
外国投資家が日本企業が復興のためにドルを売って円に換え、それを資金にするのでドル安円高になると予測し、円を買い求める動きが出て、一時70円台まで高くなってしまったので、政府がこちらは迅速に対応し米国、カナダ、EU銀行などと協調して市場介入し80円台まで戻しました。このような対応が遅れると世界中が金融不安になり、日本発金融恐慌にならないとも限らないとの報道もありました。しかし、長く続くアメリカの経済不況とヨーロッパの金融不安などのある世界情勢の中、8月のアメリカ国債が格下げになり、こんな国難に襲われている日本が世界から見ると相対的に安定しているという見方から、ドルを売って円を買う動きが続いて結果的に75円代近くにすぐ戻ってしまい、政府は良い対抗策がないままです。
続く広域な余震
余震は今回の地震の震源近くだけではなく、千葉の北の沖合いや新潟、関東中部など色々なところを震源とする今回の地震の関連と思われる余震が続いていて神奈川から山形までの広い範囲でのゆれがそちこちで続いています。最近は、揺れがなくても感覚的に錯覚して揺れているように感じられるときがあり、直接の被災地でなくとも、皆、敏感になっています。この災害から1ヶ月が経とうとしている4月8日には宮城県で震度6を観測する与信が発生、津波警報が発令されました。皆さんやっと前を向いて出直そうと考えていた矢先に地震が発生し、出鼻をくじかれたようで、精神的に大変そうでした。
関東で同時にあちこちで鳴り響く携帯の地震速報のメロディー
会社から貸与された比較的最近の携帯は、地震速報をCメールで受け取り、受け取ったことを知らせるメロディーが、たとえば電車の中であちこちでいっせいに鳴り響きます。そうして、30秒も経たないうちに地震が起きるという現象を、何回も経験しました。東日本大震災が起きる前は、それほど大きな地震はなかったので、この機能によるメロディーは聴いた記憶がありませんでした。しかし、最近は茨城内陸を震源とするとか、長野を震源とするとかが地震速報で伝えられるようになり、心の準備が出来るようになりました。科学の進歩はすごいと思いました。こんな時代に、原発は停電になったら燃料棒が冷やせないというような設計にしたのは、明らかに事故の想定範囲が狭かったかを物語っています。
大学、企業の採用の動き
大学の入試の一部中止、すでに合格している人の入学を1年待つ(つまり、今は進学どころではない人は9月や来年の入学などを許可する)、大学の卒業式の中止、企業の4月の入社式の延期、来年度の採用試験を遅らせるなどの対応を表明しているところがあります。
広がる祝い事、催事の自粛ムード
被災地はこの寒さのなか、先の希望をもてない中、耐えているのは誰の目にも明らかなので、今が盛りの桜を愛でる酒宴や催事は自粛ということで、中止されたものが多い。そのため、経済の活性化の足かせとなりつつあります。卒業式の中止、入社式の簡素化、観光地から客足が遠のいた、大きなスポーツイベントの中止等が続いています。このような状況が長引くと経済が冷え込んでしまいます。今年の夜桜はシーンとした、明かりの少ない風景画あちこちで見られております。
吹っ飛んでしまった都知事選
震災直前に都知事選が開始され、共産党推薦の議員、和民の社長の立候補、そして、現都知事である石原氏の遅ればせながらの出馬声明が出て、いよいよテレビ、街頭での選挙戦といった最中の震災で、ぎりぎりで参戦を表明した東国原氏などは、テレビでのアピールの機会がなく、地味な街頭演説ではだれにも政策を訴える場がなく、現都知事自身も都内で起きている震災関連の対策に全力で対応しているという、現知事の再選しかあり得ない状況となり、選挙戦は目立たずに現職の再選が約束されたような状況になってしまった。
今後の見通し
今後の見通しは誰にも分かるものではありませんが、先を見越してのプロジェクト計画と遂行はタイムリーに怠りなく行ってほしいものと望みます。復旧から復興へ。震災から2週間ほど過ぎると避難所から埼玉、東京など身寄りのある人は移ってゆき、お年寄りなど避難所の環境では体が耐えられない方は被災しなかった地域の施設へ移動したりして、被災地を離れた方もある。被災地では仮設住宅も建てられ始めていますが、避難している方々の数に比べたらまるで少ない状況のようです。
津波に負けない都市づくり?
多分、すべて津波に押し流されてしまった地域には、もう住みたくないといってその地を離れる人もあるようだが、その地で住むことしか考えられない人がほとんどでしょう。今後押し流されて瓦礫となった建物などを片付けて、そこに元のように建物が次第に建ってゆくのだと思います。そこで心配になるのが、折角復興しても、500年後にまた津波がくる可能性があるのだろうと思うのですが、人類はこれを繰り返してゆくのでしょうか?日本には優秀な都市作りのプロがいるので、リアス式海岸線での都市作りの提案のコンペなどをしてみれば良いと思います。当然、それには自然に逆らわず、自然を生かすような、アッというようなものができれば、さすが日本となるのですが、夢物語でしょうか?被災地の県知事などの政府への要望として高台を切り開いて海沿いにあった住宅をこの高台に移して、港では漁業を復興させ高台から港へ通うという構想も示しています。さすがに、前のままへ復旧させるだけでは、将来の不安はぬぐえませんし、今回、10m程度の堤防で待ちを囲んでも、それを超える波が来たので、根本的な解決にはならないとは、誰もが思っていると思います。住民の方は復旧が最優先なので、復興への道筋は政府指導で行うのでしょう。でも、それができたらこれこそ世界に誇れる復興だと思います。
2011年3月20日 朝日新聞朝刊より

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